2010年5月16日 (日)

畜舎から音が消える日

私が口蹄疫の存在を知ったのは、2001年3月。
イギリスで400万頭以上の家畜が処分された時だ。

怖くなって、狂牛病と口蹄疫についてネットで調べまくった。
口蹄疫は、狂牛病よりもはるかに恐ろしいというのがその時の印象だ。
狂牛病の時はあんなにもパニックになったのに、
今回の口蹄疫報道が少ないのが本当に不思議だ。
口蹄疫が発見された時点で、国を挙げて取り組むべきことなのに。


日本では2000年に宮崎と北海道で92年ぶりに口蹄疫が発生した。
処分頭数は1000頭未満。
関係者の方の苦労は今回と変わらないだろうが、
感染が拡大せずに終息したのは不幸中の幸いだった。


畜産にちょっとでも関わった人間にとっては、口蹄疫は本当に恐ろしい。
そんな場面に関わってしまったら、精神的に立ち直れないんじゃないかと思う。

だって、日頃は一頭を廃用に出すだけでも物凄く心が痛む。
自分が酪農をしていたのはもう5年以上前。
記憶力が良くないので、昔のことはどんどん忘れて行くけれど、
自分が送りだした牛たちとの最後はよく覚えている。
一生忘れないんじゃないかと思う。

でも、それは、多数の家畜を飼養するなかで、
不可避的に発生する老齢や病気や怪我によるものだ。


畜主にとって、家畜を食肉用として出荷するのと、
口蹄疫で殺処分するというのは全く違うはずだ。


冬の夜、牧場の事務室で1人で残業する。
冷え切った空気の向こうには、牛たちが休んでいる牛舎がある。
田舎の夜はとても静かだ。
でも、そこには寝ている牛たちがいる。
朝になれば、牛たちは体からモワモワと湯気を出して、
変わらない一日が始まる。

今はヘルパー制度とかも普及したようだけれど、
生物相手の仕事をする農家さんたちは、
何十年と、一日も休まず家畜の世話をする。
死んでいく牛がいて、産まれる牛がいて、
命の循環は、畜舎から消えることがない。

その畜舎から、家畜の気配が消え去ること。
想像するだけでも辛い。
そもそも、たかだか雇われスタッフに過ぎなかった私に、
畜主の気持ちの重さを想像しきれるわけもない。

でも現実だ。

そういうわけで、今回の口蹄疫のことは調べなくても
どれほど恐ろしいかは見当が付いたし、
情報を入れるのも恐ろしいのであまり記事も見なかった。

何もできないのに、知ることに何の意味があるのか、
その答えはいまだにわからない。

知ったところで、何ができるわけでもない。
でもやっぱり、無関心よりは、知ろうとした方が良いのかもしれない。

表立った報道をしなくても、今はネットで色んな記事が見える。
もちろん、ネット情報にはデマも本当もあるでしょうけど。

いくつか貼っておきます。
意見的な部分については賛否あるかもしれませんが、
少なくとも、実名で体験されたことを書いていらっしゃるようです。
興味があれば、関連記事がリンクで次々見られます。

【口蹄疫=養豚場からの投稿(2)】驚愕! 獣医師不足でなかなか殺処分が進まないでいる
http://www.47news.jp/47topics/e/159674.php

【口蹄疫=養豚場からの投稿(5)】殺処分が始まりました。上手く言葉が出てきません、悲惨です
http://www.47news.jp/47topics/e/159730.php

東国原知事のそのまんま日記
http://ameblo.jp/higashi-blog/


しかし、こういうことを考えた後に、パッとテレビを付けたら、
民主党の三宅さんが押されて松葉杖ついたり、
また転んだりしているのが映っていた。

う。自分的にタイミング悪過ぎ。

同じ日本に、今も殺処分された畜舎を前に茫然としている人がいるのに、
国会議員がこんなことをしていて、ご自身の良心に恥じることは無いのだろうか。

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