2011年11月 3日 (木)

ひとつぶのチョコレート

ダイエット中なのでお菓子をあんまり買わないのだけど、
個包装のチョコレートを1箱買ってきました。

北海道の牧場で働いていて、寒さが厳しくなっていった頃の習慣です。
朝起きて、もうろうとしながら暖房のスイッチを入れて、
チョコレートをひとつぶ口に放り込む。

朝起きるのが、5時前だったり、とある牧場では3時前(朝?)だったり。
超夜型人間だった私にとって、有り得ない早朝起床に対応するための、
ひとつぶのチョコレートは起動スイッチみたいなものでした。

だから、またチョコレートパワーで朝型シフトしたいなぁ、という。。
えぇそうです、最近朝型ができてないんだよ、えへへ。

ただし、このチョコレートを起床時以外にも口に入れだしたら、
でぶまっしぐらなので要注意です。
(実は昨日、夜の自宅仕事にやさぐれて2粒食べた。)

片付けが終わったら、ブログをたくさん書こうと思っています。
片付けしていると、やっぱり私は言葉が特別に好きなんだなってわかるので。

でもまだ終わってないので今日はちょっとだけ。

今日は、母とハイキングに行こうと言っていたのですが、
昨日から母が風邪気味なのでまた今度にしました。

私は割とそういうことにこだわらないのですが、
身勝手な私が家族イベントに参加したがることが少ないため、
私が行こう行こうっていうととっても喜んでいる母が落ち込んでなけりゃいいが。

大丈夫!
紅葉は逃しても、冬にはつららも見られるし、遊休はたくさん余ってる。

というわけで、今日は片付けの最後の残り…写真の整理をします。
まずは量を減らすこと。それができたら、画像スキャンして、コンパクトなアルバムを探そう。

今日で基本の片付けは全部終わりにするつもりです。

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2011年1月15日 (土)

風船とお野菜と先生…細くてもつながってきた糸のこと。

6時間睡眠10日間達成万歳。
こんな規則正しい生活、大人になって以来はじめてです。
ブログは超不定期更新ですが、おかげさまで元気です。


予期せぬお野菜が届きました。

金美人参・べにはるか・キタアカリ。
お相手は千葉の農家さん。


まだ個人情報も、エコ意識もゆるゆるだった中学生の時、
文化祭か何かで、風船に花の種を付けて飛ばす行事がありました。

ほとんど、風船を飛ばしてそれっきりになるのですが、
たしか中学1年生の時、しばらく経ってから私宛の手紙が届きました。

農家に嫁いだ若いお嫁さんからでした。
畑作業中に拾ったのだそうです。

もう22年前のことです。

一度も会ったことはありません。
それでも、たまにお手紙を下さったり、こちらもお返事したり。
大人になってからは年賀状だけですが細々とやり取りが続いています。

今年は、先方に事情があって年賀状が遅れたのを気にして
わざわざお野菜を一緒に送ってくださいました。

お野菜の栽培履歴情報で、初めてその方の顔を拝見しました。
かわいらしい感じの、でもしっかりと家庭を支える農家のかあちゃんでした。
22年前だから、きっと、まだ20代でお嫁に来たばかりだったのでしょう

金美人参はサラダで美味しくいただきました。


不思議なつながりはもう一つあります。

大学生の時、遠距離恋愛の彼氏のところまで鈍行電車でいってみたくなり、
青春十八切符で札幌まで出かけていきました。

八戸で一泊して、青函トンネルをくぐって、
函館から札幌に向かう電車で、年長の優しい女性と隣になりました。
3時間という長さのせいか、自然とおしゃべりが始まりました。
ご夫婦で幼稚園をやっているとのこと。

電車が着いて別れる時に、
「美味しいものでも食べてね。」
ってお小遣いを手にぎゅっと握らせてくれて、ご遠慮しようとしたけれど
「なんだか孫みたいに見えてきちゃって、受け取って」
と仰るので受け取ってしまって、別れて手を開いてみたら1万円でした。

さすがに申し訳なくて、帰宅してからお菓子を御礼に送って、
それ以来やはり年賀状だけ毎年続いています。

「遊びにきてね」と毎回のように書いていただきながら、
きっと訪問することはできないのだろう。
でも、年に一度だけご挨拶をするそれだけのつながりを大事にしたいと思います。


最後にもうひとつ、つながりの話を。

小学校の時の大好きだった先生が、北海道に移住しています。
神奈川で、ご夫婦でずっと小学校教師だったのが、
定年の少し前でお辞めになって、移住の夢を叶えました。

ご主人は、北海道にしては小ぢんまりとした畑で多品種栽培を、
先生は、気ままな農家民宿をやっています。

北海道に住んでいた時、私は2回、先生に会いました。

1回目は、私がまだ忙しい牧場で働いていた頃だったので、
お互いの中間地点の足寄で待ち合わせて。
2回目は、労働条件の良い牧場で働くようになったから、
先生のプチファームに泊まりに行きました。

北海道は大好きだったけど、友達も大切な人もたくさん出来たけど、
だだっぴろい大地で知り合いもいない暮らしはやっぱり淋しかった。

だから、先生に会えるのがすごく嬉しかった。
鎌倉の小学校でお世話になっていた先生に、
こんな北の果てで会うなんてすごく不思議な気分だった。

1回目、すごく久しぶりに会った時の足寄のことは、とりわけよく覚えている。
北海道の一人暮らしを満喫していたけど、
懐かしい人に会った後の帰り道は、すごく淋しい気持ちになった。
足寄には古い温泉があって、これが本当に昭和な銭湯の感じで番台とかあって、
しかも体がほかほか温まる良い鉱泉で、温泉に入って、車をぶっ飛ばして帰った。

北海道の夜道を遠路帰って家に着く時の、
淋しさと安堵が一緒になった気分は、なんだか忘れられないんだなぁ。


先生と価値観が全部一緒なわけじゃない。
だけど、先生は、いつでも変わらず私に接してくれる。

すごく優等生だったはずの小学校の時も。
将来の方向も見えずに牧場で働いてた時も。

期待をかけていたはずの生徒だったのに、
こんな風にガッコ出てふらふらしているのを見たら、
私だったら残念って思っちゃうんだろうけどなぁ。

そうやって、肩書に関係なく、ただのウシ子を見てくれる人がいる。
私は兎に角、人にはとてもとても恵まれているのだよ。


帰郷して3年目、2007年、はじめて母と2人で旅行をした。
レンタカーで知床を回り、東藻琴の先生のプチファームに泊まった。
それからは母の方が頻繁に先生とやり取りをしている。
母は年に4回、先生のお野菜を取り寄せていて、我が家の食卓に季節を告げる。


そんな先生が、東京に来るから家に遊びに来てくれるというので、
あわてて日曜日の予定を空けた。とても楽しみだ。
効率とかロジックとかも大切だけど、
こうやって長い時間のなかで醸成されるものはじっくりと温めていきたいと思う。


デートは延期になっちゃったけど、こういう時にさくっと「いいよ」と言ってくれる
エア彼氏の寛大っぷりには本当に感謝している。
(というようなことを言うと、周囲からは「きっとお前に興味がないのだろう」と言われる。)

今日はちょっと夜更かししました。おやすみなさい。

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2009年8月16日 (日)

ひとりぐらし時間

受験生の時に書いた日記から。
思うように物事を進められない時、よく過去のことを思い出します。
今までの一歩一歩を思い出すと、また新しい一歩も進める気がするから。

あんまり生産的じゃない気がしますけど、
本来、生産的な方じゃない自分が歩いていくには必要みたいです。

北海道で暮らしていたのは、はやいものでもう4~5年も前です。

・・・・・

勉強の合間に喉が渇いて階下のキッチンに降りた、誰も居ない平日昼間。

急に甘いコーヒーの香りをリアルに思い出す。

写真は、2年ほど前に1人暮らしをしていた時の部屋。
キッチンがあるこの部屋の向こうにもう一間あって家賃3万円。昭和からあったらしい安アパートだが居心地の良い懐かしい我が家だ。

1ヵ月ほど前までは、引っ越すことも転職することも想像もせず、東京OLな日常の持続に疑いすら抱いて居なかった。
引っ越しを決めたものの、せいぜい2年の仮住まいで、アパートも現地の知人が見つけてくれたのをそのまま押さえていただいた。

そんなわけで、引っ越した私が連れて来たのは、確か六箱程度の衣装ケースやダンボールと布団袋一個だったと思う。

リサイクルショップで新古品を揃えた電化製品一式は総額7万円台。ノートPCでかろうじてCDを聴くのに耐えかねて買い足したCDラジカセは確か3千円程度だった。

食器棚はリサイクルショップで1,500円のを友人がプレゼントしてくれたし、コタツとCDラックは結婚で引っ越すことになった友達がくれたものだ。後に増えたブロックとスノコの棚(?)もまた別の友達に貰った。

そんなワケで、私のこの住まいには何一つ真っ当なインテリアが無かった。もう過去なので台所写真も載せちゃうけど、見ての通りボロい感じで全くオシャレでない。
更に小物の殆どは百円均一商品で構成され、恐るべきチープ感が漂っている。(ちなみに壁のパッチワークは母の力作。)

それでも私はこの部屋が心地良かった。
出稼ぎバイトで仮住まいしたり住み込んだりはあったけれど、
はじめて自分で家賃を払って住む、自分だけのお城だった。

そして心地良いのは私だけでは無かったようで、こんなチープな部屋にかかわらず、男女問わず部屋を訪れた人はなぜか皆この部屋を気に入って思い思いにくつろいでくれていた。
「なんか知らんけどこの部屋妙に落ち着くンやなぁ」というのは、キレイな新居に暮らしていた新妻の発言。

この部屋で暮らしていた生活の後半の仕事では、早朝一仕事終えた後に、1時間半程度の休憩時間があった。
その時間を職場の休憩室で過ごすことは出来たのだが、やがて私は、車をぶっ飛ばして7分のこの部屋に帰って来るようになった。

早朝、というより寧ろ深夜、3時から始まる4時間の仕事は肉体労働で、グッタリ疲れていた。
それでも、帰って来たら先ずお湯を沸かして、ブルックスの安物コーヒーを入れるのが習慣になっていた。

小さな1人用ケトルが湯気を噴き出し、大きなマグカップにコーヒーをセットしてお湯を注ぐと、部屋中に甘い匂いが広がる。その時間は不思議なくらい、当時の私を力付け癒してくれるものだった。

当時の私にとって、仕事は仮の居場所だった。
それは立派な仕事だし、それを生業として選んだ人達を尊敬しても居たけれど、でも私の場所じゃなかった。
家に帰ってお茶をいれることで、私は、公と自分の世界の切換をしていたのだと思う。

コーヒーを手にすると、コタツで束の間勉強をした。語学だったり時事問題だったり、ほんの子供だまし程度の勉強だったけれど、その僅かばかりの知に触れていることで、私は、寒さの厳しい遠い場所での暮らしに耐えて居たのだと思う。

そうやって勉強をして、疲れに応じて仮眠をして、また起き上がって車をぶっ飛ばして職場に向かった。

田舎の一本道、空も大地もどこまでも広く、世界は光に満ち溢れていて、そして私はとても寄る辺が無かった。

東京とかオフィスとかからかけ離れた、あの不思議な人生のひと時を、時々思い出す。
そんな時はまた、安物の1人分のコーヒーをいれたくなる。そうすると、少し懐かしくて、あの頃の自分が元気をくれるような気分になるんだ。

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