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2011年12月18日 (日)

想い出の品(手帳など)を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(6)


◇想い出品を捨てる

10月29日から、想い出品を捨てることに着手した。
私にとって最も捨てられない、最後の砦だ。

過去の手帳・日記・恋文・手紙・作文・子供の頃の作品類、
あらゆるものを、やはり客間に並べる。
一体この中に、どれだけ大量の文字が書かれているのだろう。

結論から言うと、これまで保管していたものの2/3程度は捨てた。
手帳の類は捨てて、日記類の大半は残した。
手紙を間引きしながら、いくらかは残した。

私にとって、文字というのはちょっと特別なので、捨てられない部分はある。
捨てることが目的じゃなくて、大切なものを残すのが目的だから、
捨てたくないものは、端からみたらバランスが悪くても、残して良いのだと思う。

手帳にも、細かい字で書きこんだ日記的な部分もあったけれど、
それらは思い切って捨てることにした。

捨てる前にパラパラと眺めた。

これまでに無い次元で、抜本的に改革的にものを捨てて行くことは、
それまでの自分と改めて向き合う儀式のようなものなのだと思う。
何回も繰り返すことじゃないから、時間をかけた。
忘れていたいようなことも、捨てる前に振り返った。

私が手帳を使い始めたのは、大学生になってからだ。
大学で所属したオーケストラの練習会場は日々変わった。
大学構内から、遠い場所だと高島平や江東区あたりまで。
練習の後に、パートごとに集まり、練習会場や曲目を告げられる。
オーケストラと、バイトのシフトと、友達との約束。
その間に綴られている幼い言葉。

学生時代のことは、懐かしむよりも痛いことの方が多い。
まだ鼻をへし折られる前の、自分が絶対的に正しいと信じていた頃のこと。
だけど未来は見えなかった。全然良くわかんなかった。
ただただよくわからんことを悩んで過ごして、
ただただ楽器を吹いて最後に失敗した。
その頃の自分の思考回路には、ちょっと吐き気がした。
まぁでもその時は真剣だったんだからしょうがない。
失敗するなら全力で失敗した方が良い気がするから、まぁいいや。

学校を卒業してからは、友達との約束くらいしか書かれていない。
仕事を転々としていたので、ちょいちょい職探し中のメモがある。
新卒就職もせずにふらふらとして、仲居さんをやったり牧場で働いたり、
人生は楽しかったけれど、転職市場での価値は全く無かった。
知能テストだとかの成績を誉められることはあっても、
雇ってくれるところは滅多に無く、大手の正社員なんて絶望的。
手堅い会社だと派遣ですら潜り込めない。
そりゃそうだよね、私が雇う側なら、
下手に学歴だけあって職歴が無茶苦茶な人間なんて、絶対に雇わない。

あのもやもやした数年間。
手帳に書いてある人の名前の大部分が思い出せなくて、
そんな自分の時間の過ごし方に軽くクラクラした。
ヒマを潰すように、空白を埋めるように飲みに行っていた季節。

振り返ってみて実感したことがある。
診断士になってから、いっちょまえに賢いフリをしているが、
私の本性は、ものすごくバカだ。

単純にバカなんて表現すると、その定義はなんぞやって
ややこしい感じになっちゃうんだけど。


私の過去の点と点はまだ全然つながっていない。
だけど、本当にろくでもないなぁ、
何考えてたんだろなぁっていう時代の
ふらふらした感じも経ているのが今の自分なので。


手帳に文字を綴っていたころの自分を思う。
「あなたは自由で羨ましい」ってまともな友達に言われながら、
本当は自由じゃないと知っていた。
人と違う風にふらふらしていれば、その分だけリスクが増えるは当然だから。
まともな友達がまともなものを積み上げている間に、
私はひたすらふらふらしたり酔っぱらったりしていた。
今の私だって先は見えていないけれど、あの頃よりはだいぶいい。

手帳に文字を綴っていたころの自分を思う。
刹那的で毒気が強くて、感情優位で純粋で非生産的な愚か者で、
考えているんだか考えてないんだかわからない。
吐き気がするほど腹立たしくて痛々しくて少しだけ愛しい。
でも間違いなく、それも私のなかの一部だから。

それは私で、私の原点で、この先もう少しまともになったとしても、
自分の中のそういう尖っていてろくでもないものは無くしちゃいけない。

その頃の私が書く文章はもっとずっと荒れていた。
視点も偏っているし、言葉はまとまらなくてぐるぐる回る。
だけど今より、鋭利な部分やきらきらした部分、捨て鉢な強さがあったように思う。
今の自分が、少し小さくまとまり過ぎてるんじゃないかと、時々危惧する。

私のなかにつながって残るものと、
別れを告げるべき物質たちと。

捨てるということは、時間の経過を受け容れることなんだ。
これらの手帳をシュレッターに掛けることは、
過去を過去だと認めるための儀式のようなものだ。

過ぎた時間の記憶は残る。
けれど、過ぎた時間は二度と戻らない。

そんなことを思っているうちに、
これまでずっと私は、過ぎた時間を悼んでばかりいたことに気付いた。
まだ中学校くらいの頃から、もう小学校が終わってしまったとか、
もう18歳になってしまって17歳ではなくなったとか、
失われた時間ばかりを悲しんで過ごしていたような気がする。
後ろばかりを見ている間に、今を取りこぼすから、未来はいつも恐怖だった。

だから私は、想い出の品を捨てることにする。
身体の一部を抹消するような感覚で、鈍い痛みを覚えながら、
シュレッターにかけて消していくこと。
だけどそれは、本当は身体の一部じゃないから消しても大丈夫だ。

過去の記憶は醸成されて自分の骨肉になる。
そして私たちには、今と未来しかない。
今と未来をもっと大切にしようと思った。

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