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2011年12月20日 (火)

想い出の品(恋のカケラ)を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(番外)


◇恋のカケラを捨てる

10月29日に捨てた想い出品のなかで、特別な位置を占めていたもの。
それは古い恋の欠片だ。

最近別れたばかりの彼との間には、物質的なものが殆ど無かった。
買ってもらったバッグは、物としても気に入っているのでフツウに使ってるし、
彼は写真が嫌いだったから、
一緒に取った恋人らしい写真なんて、完全に、1枚も、無かった。(ヒド過ぎる!)
貰った恋文も、送った恋文も、0通。
ゆえに、捨てるという工程、そもそもナシ。

でも、学生時代の彼氏との間には、たくさんの手紙があった。
学生時代の彼氏のことが死ぬほど好きだったので、
(でも実際には死なないということがわかってしまった。大人ってさぁ。)
しかも文学部だし二十歳やそこらだったので、とにかく大量の文字を書いた。

そして、これが自分のイヤなところでそして自分なんだなって思うけど、
当時の私は、恋に溺れる自分をコントロールできない一方で、思っていた。

「こんなに恋に溺れるということは二度と無さそうだから、
 この異常な感じはなるべく記録として残しておこう。
 将来、小説とか書く時の参考になるかもしれないから。」

というわけで、私は、自分がブクブクに感情に流されて書いた手紙を、
せっせとコピーして手元に残していた。

実際のところ、そうやって書いた大量の手紙は、
もう触れることもできないくらい痛々しい存在になっていて、
私はただただそれらを仕舞い込んで、その後の10年を過ごした。

今回の大片付けで、もっとも越えなくてはいけないこと。
それは、あの時の彼氏にまつわる想い出品を処分すること。
最初からわかっていた。

大量の手紙のコピーと、そして、やたらたくさんの出せなかった手紙の原本。
カサカサと、折り畳んだ手紙を開くだけで、電気が走るような感じ。
静かな部屋に響くカサカサ音が、神経に触って、痛い。

そうやって私は数通の手紙を読んで、そして残りは読まずに捨てた。
大事に残してきた手紙の全てを、読むことはしなかった。
それはもう既に、旬を過ぎていたから。

手紙からは、当時の私の感じ方がぶわぁっと溢れてきて。
それは、全部の手紙を逐一読まなくても感じ取れると思った。
そしてそれは、今の私とはちょっと違った。
もっと正直に言えば、ピリピリして吐き気がして、読めなかった。
純粋な愛ならば、繊細ならば何をしても良いと思っている、
若さを自覚し、それゆえに傲慢な愛。

当時の自分は、今の私につながる大切なものだけど、
当時の思考回路を、もう、愛することはできないんだとわかった。

本当は、そんなことは前からわかってた。だから封印した。
だけど捨てることができずにいた。

当時の自分のことは好きになれない。
でもその恋はきっと特別な恋だったから。

大人になって振り返れば、そういうことってただタイミングで、
たとえば今になって彼と再び深く関わることがあるとしても、
もう同じように恋したりは決してしない。
だからこそ、大事に大事にして、大事にしすぎて囚われた。

他の人から見たら特別じゃない、自分にとってだけの特別。
きっと私だけじゃなくて、あなたの心にもあるでしょう?

私は彼とはじめて話した時のことを、今でも憶えている。
高校の担任の先生が誰だったとか、色んなことを驚くほど覚えられないのに、
18歳の私がはじめて彼と交わした冗談と、彼の洋服は全部憶えている。
白のワッフルTシャツと、形の良いジーンズと、
水彩画みたいな素敵なシャツと、黒いチョーカー。

そのチョーカーが壊れた時に、私はそれをお守りにもらった。
捨てるタイミングを失くして、未だに仕舞い込んでいた。

そして何よりも、彼からもらった17通のラブレター。
オーケストラで海外遠征中の私を励ますために、
手紙が得意ではなかった理系の彼がくれた17通のファックス。
懐かしい彼の、少し癖のある縦長の文字。

私はその17通を、生涯捨てることは無いと思ってきた。
でも、今回の片付けではこの手紙を捨てなくてはいけないと思った。
感情を素直に認めれば、本当は捨てたくない。
だから一通一通、残さず読み返した。

私自身が書いた手紙にはうんざりしたけれど、
彼からの手紙に救われる気がした。
そっかあの人は、私のことをこんなに好きでいてくれたんだっけ。

でもその一方で、ようやく私は気が付いた。
あんなに彼が好きで、ああやって彼にすがることばっかり考えていた。
だから私は、海外遠征で失敗したんだな。

本当は、自分が思うようには、周りは私を責めていないことを知ってる。
むしろ本当は、失敗したと思っているのは私だけなのかもしれない。
だけど私の音楽は、最後に届かなかったんだ。
もっと高く、思い描く音楽に届くと思っていたのに、
自分が思う場所には全然行けなかった。だから私は自分を赦せない。

大好きだった彼はすごく素敵な音楽のセンスをしていた。
彼は、私が音楽について思うことを全部わかってくれた。
一学年先輩の彼と恋をして、私の音楽は周りが驚くほど変わっていった。
だけど、最後の年に一緒に音楽をする仲間は彼ではなかった。

時には弱くなりたい時もある。
けれど、弱くなる方にばかり傾いてはいけなかった。
私は、自分が苦しんだり可哀想だったりしたら、
彼が心配して優しくしてくれるから、
自分が弱くなる方に、どこまでも傾こうとしていた。

私は、音楽性の相違を彼に嘆くのではなくて、
目の前にいる仲間たちと、もっと理解しあう努力をすべきだった。
たとえ無理だったかもしれなくても、その努力をするべきだった。
仲間の良いところを見たり、信じようとするべきだった。

彼のことが大好きだったけど、音楽だって好きだった。
たくさん練習して、悩んで育って、ようやく掴んだポジションだった。
大好きな楽器、大好きな譜面、大好きなソロパート。
そして一生に一度しかない、世界一の舞台たち。

あの時、私が最も持つべきだったのは強さだ。
自分の大切な音楽を信じる強さ、
自分のこれまでの努力と進化のプロセスと成果を信じる強さ。
それが無くては、心が弱った瞬間に唇が震えて、もう吹けない。

ピッコロは一人でオケを突き抜けて行く楽器だ。
あんな小さい楽器で、オケ全体を相手にできるぐらいに輝ける。
恐れずに出て、息の勢いを周りと合わせるから、
飛び道具でいても、その音色をオケに溶かすことができる。
だけど足がすくんだら、途端に全てが恐怖に変わる。
はじめてピッコロで舞台に乗った時のあの快感を、
大事にし続けることが出来なかった。

あの時の私は、自信が必要だってことに気付いていなかった。
音楽には謙虚であるべきだと思い過ぎてバランスが悪かった。

そんな私に、師匠は言ってた。
「今の君の音楽はマスターベーション。そんな風に、
 私はこんなに辛いんですって音楽を、お客さんは聴きたいと思う?」
師匠はちゃんと指摘してくれていたけれど、私は理解しなかった。

そういういろんなことを、
私は17通のラブレターを読んで、唐突に理解した。

そして多分、それはまだ私のなかで終わっていない。
今も私は、未来よりも過去にすがろうとするし、
強さよりも弱さに傾こうとする。
昔と同じように、今も自分に自信が持てないでいる。

謙虚さは大事だけど、自分を信じなくては、強く成長していけない。
私はもう、何かや誰かに依存しないで、自分の足で立つ意志を持つべきだ。
また同じ失敗を繰り返して後悔しないように。

私は過去から自分を放って、そして自分のパラダイムを変えて、
未来に向けて歩いていくんだ。

だから、この手紙たちにはさようならをする。
私を想って、こんなにたくさんの文字を書いてくれてありがとう。
想いを届けてくれてありがとう。

抱きしめた手紙の束を、想い切るようにして袋に仕舞った。

非常階段の秘密のキス、手をつなぐ冬の日、
腕の中から見上げる笑顔の口元と、その向こうの星空。
私に恋を教えてくれてありがとう。

そうして私は数日後、手紙をシュレッターにかけた。
ミリミリという音がして、一瞬で想い出は形を失くした。

でも大丈夫。きっと大丈夫。
幼い恋は記憶からは消えないし、それが今の私につながっている。

手放す過去の居場所に、
同じくらい素敵な未来があるって私は信じる。

ちゃんと自分を信じて前を向こう。
そしてもしも本当に好きな人ができたら、ちゃんと恋をしよう。

だって恋って、幾つになっても素敵でしょう?

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2011年12月18日 (日)

想い出の品(手帳など)を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(6)


◇想い出品を捨てる

10月29日から、想い出品を捨てることに着手した。
私にとって最も捨てられない、最後の砦だ。

過去の手帳・日記・恋文・手紙・作文・子供の頃の作品類、
あらゆるものを、やはり客間に並べる。
一体この中に、どれだけ大量の文字が書かれているのだろう。

結論から言うと、これまで保管していたものの2/3程度は捨てた。
手帳の類は捨てて、日記類の大半は残した。
手紙を間引きしながら、いくらかは残した。

私にとって、文字というのはちょっと特別なので、捨てられない部分はある。
捨てることが目的じゃなくて、大切なものを残すのが目的だから、
捨てたくないものは、端からみたらバランスが悪くても、残して良いのだと思う。

手帳にも、細かい字で書きこんだ日記的な部分もあったけれど、
それらは思い切って捨てることにした。

捨てる前にパラパラと眺めた。

これまでに無い次元で、抜本的に改革的にものを捨てて行くことは、
それまでの自分と改めて向き合う儀式のようなものなのだと思う。
何回も繰り返すことじゃないから、時間をかけた。
忘れていたいようなことも、捨てる前に振り返った。

私が手帳を使い始めたのは、大学生になってからだ。
大学で所属したオーケストラの練習会場は日々変わった。
大学構内から、遠い場所だと高島平や江東区あたりまで。
練習の後に、パートごとに集まり、練習会場や曲目を告げられる。
オーケストラと、バイトのシフトと、友達との約束。
その間に綴られている幼い言葉。

学生時代のことは、懐かしむよりも痛いことの方が多い。
まだ鼻をへし折られる前の、自分が絶対的に正しいと信じていた頃のこと。
だけど未来は見えなかった。全然良くわかんなかった。
ただただよくわからんことを悩んで過ごして、
ただただ楽器を吹いて最後に失敗した。
その頃の自分の思考回路には、ちょっと吐き気がした。
まぁでもその時は真剣だったんだからしょうがない。
失敗するなら全力で失敗した方が良い気がするから、まぁいいや。

学校を卒業してからは、友達との約束くらいしか書かれていない。
仕事を転々としていたので、ちょいちょい職探し中のメモがある。
新卒就職もせずにふらふらとして、仲居さんをやったり牧場で働いたり、
人生は楽しかったけれど、転職市場での価値は全く無かった。
知能テストだとかの成績を誉められることはあっても、
雇ってくれるところは滅多に無く、大手の正社員なんて絶望的。
手堅い会社だと派遣ですら潜り込めない。
そりゃそうだよね、私が雇う側なら、
下手に学歴だけあって職歴が無茶苦茶な人間なんて、絶対に雇わない。

あのもやもやした数年間。
手帳に書いてある人の名前の大部分が思い出せなくて、
そんな自分の時間の過ごし方に軽くクラクラした。
ヒマを潰すように、空白を埋めるように飲みに行っていた季節。

振り返ってみて実感したことがある。
診断士になってから、いっちょまえに賢いフリをしているが、
私の本性は、ものすごくバカだ。

単純にバカなんて表現すると、その定義はなんぞやって
ややこしい感じになっちゃうんだけど。


私の過去の点と点はまだ全然つながっていない。
だけど、本当にろくでもないなぁ、
何考えてたんだろなぁっていう時代の
ふらふらした感じも経ているのが今の自分なので。


手帳に文字を綴っていたころの自分を思う。
「あなたは自由で羨ましい」ってまともな友達に言われながら、
本当は自由じゃないと知っていた。
人と違う風にふらふらしていれば、その分だけリスクが増えるは当然だから。
まともな友達がまともなものを積み上げている間に、
私はひたすらふらふらしたり酔っぱらったりしていた。
今の私だって先は見えていないけれど、あの頃よりはだいぶいい。

手帳に文字を綴っていたころの自分を思う。
刹那的で毒気が強くて、感情優位で純粋で非生産的な愚か者で、
考えているんだか考えてないんだかわからない。
吐き気がするほど腹立たしくて痛々しくて少しだけ愛しい。
でも間違いなく、それも私のなかの一部だから。

それは私で、私の原点で、この先もう少しまともになったとしても、
自分の中のそういう尖っていてろくでもないものは無くしちゃいけない。

その頃の私が書く文章はもっとずっと荒れていた。
視点も偏っているし、言葉はまとまらなくてぐるぐる回る。
だけど今より、鋭利な部分やきらきらした部分、捨て鉢な強さがあったように思う。
今の自分が、少し小さくまとまり過ぎてるんじゃないかと、時々危惧する。

私のなかにつながって残るものと、
別れを告げるべき物質たちと。

捨てるということは、時間の経過を受け容れることなんだ。
これらの手帳をシュレッターに掛けることは、
過去を過去だと認めるための儀式のようなものだ。

過ぎた時間の記憶は残る。
けれど、過ぎた時間は二度と戻らない。

そんなことを思っているうちに、
これまでずっと私は、過ぎた時間を悼んでばかりいたことに気付いた。
まだ中学校くらいの頃から、もう小学校が終わってしまったとか、
もう18歳になってしまって17歳ではなくなったとか、
失われた時間ばかりを悲しんで過ごしていたような気がする。
後ろばかりを見ている間に、今を取りこぼすから、未来はいつも恐怖だった。

だから私は、想い出の品を捨てることにする。
身体の一部を抹消するような感覚で、鈍い痛みを覚えながら、
シュレッターにかけて消していくこと。
だけどそれは、本当は身体の一部じゃないから消しても大丈夫だ。

過去の記憶は醸成されて自分の骨肉になる。
そして私たちには、今と未来しかない。
今と未来をもっと大切にしようと思った。

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