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2011年10月18日 (火)

元気出さなきゃ。


割と元気です。彼氏と別れて、崩していた体調も良くなって、
休日は何かにとりつかれたかのような勢いで片付けをしています。

人生でこんなにガツガツと捨てまくったことは過去にありません。
彼氏とさようならすることと比べると、捨てるという行為は簡単なので、
今が捨て時です。
ありがとうと声を掛けながら捨てる洋服たちには、
色んな想い出がくっついていましたけど。

片付けはまだ途中なので、このお話はいつかまた。


気分転換に、遊びに行こうかって誘ってくれるお友達とかがいて、
そういうのが素直に嬉しいなって思った。

ディズニーランドも遊園地も、ものすごく長いこと行ってない。
なんだか若返ったみたいで嬉しいな。

って思って、彼氏(もう、元彼か)のことを思い出す。

元彼とは、本当にどこにも行かなかったな。
なんのイベントが無くても、家にいるだけで大丈夫なくらい仲良しだったから。
どんなくだらない話でも楽しくしていられたから。

だけど、もうちょっとどこか行けば良かったのかも。
私が行きたいってちゃんと言えば良かったのかも。
敢えて行きたいって言うほどでもないから仕舞った。
それで結局どこにも行かなかった。

一緒に北海道に行きたかったな。
大好きな空や大地を見せたかったし、紹介したかった人たちもいた。
いつかじゃなくて、今行こうよって、言えば良かったのかもしれない。

考えてもしょうがないから、このお話もおしまい。

今日は、とても久々に、会社で上司と言い合いしました。
上司と言い合いしたことそのものは別に良いんだけど、
(場を改めて冷静に対立を解消すれば収まると思うので)

そういうことを、自分の有利にするために、
好き勝手に加工して噂にしようとする人とかが大体いるので、
そういう人間関係とか思惑がとても億劫だ。

共通目標が無い組織って本当にツラい。
組織を作るのはヒトだから、トップ層の意識が変わらない限りはしかたない。

じゃあトップ層の意識がアレだからしょうがないって、
諦めてしまうわけにもいかないので、自力で考えたり工夫したりする。

よっぽど恵まれた組織でも無い限り、抵抗は必ず存在する。
黙って座っていれば波風は立たないけど、
これまでとそっくり同じでないように動けば必ず風は起きる。

会社や人間関係でイヤなことが会った時は、
いつも彼氏(元彼か…)に相談した。
洞察力だけは半端無い人だったので、いろいろと役に立った。

こういう時に、彼氏(だから元彼ですってば)がいないのがキツいなぁ。

まぁでも嘆いていてもしょうがない。決めたのは自分だから。
それに、私だって少しはいろいろ覚えたから、別に大丈夫だ。

人間関係のギスギスくらい、私だって一通りは経験してきた。
もっと露骨で言いがかりな目にあったことなんていくらでもある。

その頃今よりもっとずっと世間知らずで繊細で弱くておまけにアホだったけど、
それだって命まで取られるようなことにはならなかった。
そん時はキツくても、長い目でみたらたいしたことじゃない。

(まぁ私がお嬢様臭いからイヤミのひとつも言ってやりたいとか、
 その他もろもろ、相手方の気持ちもわからないわけではないし。)

彼氏(えぇと元彼)がいないことはしんどいけれども、
彼氏(元彼?)が教えてくれたこともたくさんあるから、前より私はもっと逞しい。
そして、もともと私は逞しい。

たくさんの経験を重ねて、世間知らずのお嬢様(を名乗るほど裕福ではないが)から
独自の変化を重ねてガラパゴス化してきたのだから(それって良いことなのか?)、
私はそうそうダウンしたりはしない。

しなやかなカラダと強靭な心が欲しい。育てよう。

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2011年10月 1日 (土)

句読点あるいは節目のようなもの


1週間前に、大切な人にさようならと言った。

話をする時点にいたっても、彼に対する感情に変化はなく、
乗り換えたい明確な場所があるわけでもなかった。

彼は私よりはるかに大人で想定の範囲が広いので、
こちらの方が何日も考え抜いて、不意打ち的に切り出した話なのに、
しまいにはどちらが主体性を持って進めている話なのかわからなくなった。

自分が必要だと思ったことをやらないでおくと後悔する。
何日も考えてそうしたいと思ったことならやった方が良いと彼は言った。

何が正しいかということは誰にもわからない。

彼に鍵を返し(本当はあまり返したくなかったが、常識的に仕方がない)、
置きっぱなしにしていた衣類や本をまとめて彼の家を出た。

私が家を出る時、彼は窓のところから見送ってくれるのが習慣になっていた。
いつもの、見えなくなる角で振り返って、いつもみたいに大きく手を振った。
いつもみたいに彼は満面の笑顔だった。たぶん私もそんな笑顔をしていた。


想定していたことだが、離れてみるととても心もとない気持ちになった。
私の精神的な安定にとって、彼がとても必要な人だということはよくわかっていた。
もう自分の外にあるものか中にあるものかわからないくらいに。

離れてみると、私は想定していた以上に彼のことが好きだったんだなと思った。
彼の外見も食べ物の趣味も暮らし方も全く私の好みではなかったけれど、
いつのまにか慣れてしまったのだろう。


そして、彼の存在が自分のなかでとても大きいという事実ゆえに、
やっぱり離れて良かったんだと納得が行った。

離れようと決めたことに関してはいくつかの現実的な事情もあったけれど、
そんなことは大したことではなかった。

彼の存在は私の中で大きくなり過ぎた。
彼に寄りかかり依存して精神的安定を保っていることに気付いた時に、
私はそういう自分を美しいとは思えなかった。

一緒にいたいから一緒にいるならいい。
一緒にいないと生きられないから一緒にいるようなのはやだ。

彼はなんらそんなことを求めていなかったけれど、
私はそのように関係性を築き過ぎてしまっていた。


依存しないで立てるようにならなくてはいけない。
それは、私が次のステップに進むために必要なものだ。


私のこれまでの人生は、
脈絡のない句読点あるいは節目のようなもので構成されている。
そして、私がそうやって句読点あるいは節目のようなものが必要と
感じた時には、結局、私はそうせざるを得ない。


何が正しいかということは誰にもわからない。

彼と別れたら、勉強というものを真面目にやってみようと思った。
具体的には、本を読んだり知識を身に着けようと思った。
私はそういうことをこれまでやったことがないから。

私はいまだに小説以外の読み方がよくわからない。
読もうとするとすぐに寝てしまうし。


大学や資格試験に受かったくせに何を言うのかと笑われるけど、
大学は国語と小論文だけ(しかもかなり感覚的に)でなんとかなったし、
資格試験における私の勉強方法はかなり個性的なものだった。
ただただテキストの内部に向けて掘っていく。
授業を聴いてテキストを読んで、わからないことはわかるまで質問する。
それは、テストの点を取る上では有効だったけれど、実務上では十分ではない。

なんで私は難しい本を読めないんだろうと考えたところ、
たぶん、それは難しい本を読むという行為を殆どしていないからだ。
たぶん、訓練すればそのうち慣れるはずだ。

私には、1人になってやりたいことがある。
何もかも中途半端になっていることをなんとかしたいし、
少し集中的に、必要な知識を吸収したい。


そんな風に思って帰宅したのだが、
実際には、帰宅するなり体調を崩して何もできなかった。
そういえば土曜日の朝から少しだけ喉が痛かった。
夜になると喉が痛くて眠れなかった。
食べて元気を出したかったが、吐き気がして食べられなかった。
そんな時に限って珍しく締切が立て込んで仕事が休めなかったりするので、
不機嫌な顔をしてマスクを付けてボーっとしながら働いていた。
ボーっとしている割には必要最低限の仕事はしっかりできた。

帰宅するとパソコンを開く気にもならなかった。
iphoneから、明らかに不要なメールだけを削除していた。
少し前に決心して50通以下を保っていた受信メールは、
あっさりと150通になってしまった。

まぁ、そんなものだと思う。
華々しく句読点を打って踏み出そうなんて思うと、たいてい出鼻をくじかれる。
間抜けな私はツメが甘いから、そんな時はいったん体調を崩すんだ。いつも。


何が正しいかということは誰にもわからない。
いつかもっと良い状態になった時に、
彼にまた会えたら嬉しいけれど、
そんなことはわからないし、仮定に縛られ過ぎるのは良くない。

体調はまだいまいちだけど、だいぶ良くなってきた。
こうやってパソコンを開いて文字が打てるくらいに。


当たり前のように近くにいた彼がいないということ。
それはまるで、雪に閉ざされた北海道から戻ってきて、
東京のアスファルトに降りたった時のような違和感だ。
あるべきものが、そこには無い。

多分、いろんなことは全然、私はわかっていないんだ。
自分がやっていることが正しいかすらわかっていないんだ。

けれど、どんな脈絡のない句読点の集合体であっても、
最後には納得の行く人生をいきたいと私は思う。
ジョブズが言っていたみたいに、
いつか脈絡の無い点と点がつながって物語になることを願う。


溜まってしまったメールフォルダと、
未読本が積み上げられて片付いていない部屋と、
いまいち思うようにいかない体調と。

私には、何が正しいかなんてことはわからない。
でもきっと、体調はちょっとずつ大丈夫になるし、
メールは一個ずつ減らしていけるし、
本の読み方だって、1カ月後にはもう少しマシになっているはずだ。

新しい句読点の必然性を証明するために、しっかりしないといけない。


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