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2011年3月26日 (土)

コンサルタントとして、すごく勇気づけられたメール

以前、経営コンサルタントの岸良裕司さんに取材させていただいたご縁で、
岸良さんの新刊や、近況についての告知メールを時々頂戴する。

そのメール内容にすごく感銘を受けたので、
ご本人のご承諾の上、ご紹介したい。

尚、メールの本題は、新刊のご連絡。

『最短で達成する 全体最適のプロジェクトマネジメント』
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E7%9F%AD%E3%81%A7%E9%81%94%E6%88%90%E3%81%99%E3%82%8B-%E5%85%A8%E4%BD%93%E6%9C%80%E9%81%A9%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88-%E5%B2%B8%E8%89%AF-%E8%A3%95%E5%8F%B8/dp/4806139785

さっそくアマゾンで注文♪
ネットでの書評などをみると、これまでの岸良さんの
プロジェクトマネジメント本を集大成したような内容のようだ。
岸良さんの著作はたぶん全部持っているんだけど、毎回発見があるので楽しみだ。

コネを使わず、ダメもとで直メールしたことにはじまる
岸良さんへの取材という経験は、私にとっては本当に貴重な経験だった。

岸良さんの要求水準は高いので悩んで悩んで泣きべそで原稿を作ったけど、
できあがった成果物のことを、岸良さんはすごく誉めてくださった。
本当に思ったことしか言わない方なだけに、
評価していただいたことは本当に嬉しかった。

私が提出した原稿に対し、岸良さんは、事実関係のわずかな訂正だけで、
内容については一切修正なさらずにOKをくれたので驚いた。
(編集者さんも、点を一個加えた以外は全部そのまま通してくれた。)

その後も、岸良さんが原稿のどのような部分を評価しているか、
私が辿ったプロセスまでも的確に推定した、驚くほど鋭いご指摘をくださった。

(ちなみに、「ココはまだまだ過ぎて残念」っていう指摘もしっかりいただいている。笑。)

岸良さんとの遣り取りから学んだことはたくさんある。
岸良さんに取材したときに、岸良さん自身が仰ったことも、
私にとっての財産になっている。

失敗を前提に、今より高いチャレンジをすること。
自分の可能性を限定しないこと。
障害の前ですぐに諦めないで、前向きに解決策をさがすこと。
まだまだ、書ききれないけど。

地震のあと、恐怖に震えながら、時々岸良さんのことを考えた。
この大きすぎる問題のなかで、岸良さんはどんな風に動いているのかなって。

そうしたら岸良さんからのメールのp.s.部分に
岸良さんらしい内容が書いてあって、すごく腹に落ちちゃった。

岸良さんは、節電に対しての働きかけを行っているという。

-----以下、転載-----

計画停電については、様々な批判がでていますが、問題は経済活動に支障を
きたすこと。復旧に必要な資材さえ生産が遅れてしまうということで、
復興が遅れる可能性があります。

これをTOCのクラウドでまとめると以下のようになります。

      ← 供給量を管理する ← 計画停電する
全面停電を防ぐ
      ← 需要を管理する ← 節電をよびかける

つまり、「全面停電を防ぐ」ためには、「供給量を管理」しなければならない。
その為には、「計画停電をする」必要がある。一方で、「全面停電を防ぐ」ためには、
「需要を管理する」しなければならない。そのためには「節電を呼びかける」必要が
あるということになっていて、本当は、「供給量を管理する」ことと「需要を管理する」
ことを両立すればよいことになります。

一般に、供給する側に責任感が強く中央コントロールしなければならないと考えるので、
計画して供給をコントロールすることに傾きがちなんですが、我々が今まで日本を
含めて全世界の現場でやってみると実は、もっとシンプルでパワフルな
ソリューションがあることがわかっています。それはすでに世界各地の現場で
実証され、成果をあげているシンプルな方法です。それは、

「全体へのインパクトを全員に見える化する」

ということだけです。つまり、ボトルネックの最大供給量を全員にリアルタイムで
見える化してしまうんです。使う側にも需要を管理する役割を担わせてしまうんです。

電力の消費状態をまず見える化します。
電力に余裕がある時:青信号
電力に余裕がなくなった時:黄色信号
電力が切迫した時:赤信号
そういう状態を常に見える化します。不思議なもので、赤信号となると、
どこでも、「今本当に必要なものだけ」をボトルネックを使うようになります。
言い換えると、赤信号では、「今はいらないもの」でボトルネックを使わなくなるん
です。

ご存知の「バッファマネジメント」です。

----------

この考えを、様々なところに働きかけたところ、
実際にYahooで実行してくれたそうだ。

http://setsuden.yahoo.co.jp/

友達も言っていたが、電力のバッファ表示が、
テレビ画面や携帯電話などでリアルタイムに見られるようになったら
節電効果はかなりあがると思う。

ここで展開されているのは、
岸良さんが日頃から実践している考え方だ。

コンフリクトを解決するクラウドは、
ゴールドラット博士の『ザ・ゴール2』にも出てくる。
当然、岸良さんの著作にもよく出てくる。

私が感動したのは、こういう未知の問題に対して、
岸良さんが、いつも使っているコンサルティング手法を
ぶれることなく使っていること。

自分が信じるコンサル理論を、
目の前の現実に適合させて実際に行動なさっていること。

論理を本当に身体のなかに入れて使いこなすっていうのは、
こういうことを指すんだなって、すごく勉強になった。

職場でのことは詳しく書けないけど、
私は私なりに、職場で自分がすべきことを提案して行動している。

地震以降、情けないくらい恐怖におびえて暮らしていたが、
そういうなかでも、まずは自分にできることから行動できたこと、
そして、思ったことを実際にカタチに出来たことは、
私にとっては、一歩前進なんだと思っている。

岸良さんと私では、やっていることのレベルは全然違うけど、
教わったことが、ちゃんと骨肉になっているのかなって、ちょっと思った。

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2011年3月19日 (土)

命~愛がのこる写真

地震のことはずっと怖くて、怖くて、怖くて、
体調もいまいちで、不安で、指先が震えるような日々だった。

昼間の職務には精いっぱい集中していたけど。
家に帰ると、なにもできなかった。

今は落ち着いている。
一週間経って、ようやく自分なりに落ち着いた。

地震のことは、また書くと思う。
今日は別のこと。


ちょうど一カ月前に、私より年下の、診断士仲間が亡くなった。
彼と実際に会ったのは一度だけだった。
その時はまだ受験生だった。

彼の実家は、今の私の勤務地で、
彼のご両親が経営する会社は、私の仕事のお客様だった。

たまたま、大学も一緒で、
彼が通い始めた大学院は、自分の兄が数年前に卒業した大学院だった。

だからなんだか縁を感じていた。
彼に会った時は、まだご両親を知らなかった。
それから数カ月後に、会社を訪問したら、
「ウシさんのことは、息子から聞いてました」って親切にしてくれた。

それからお付き合いが始まって、もう10回以上は訪問している。
私が、彼と接点を持っているのが嬉しいのか、
訪問すれば毎回必ず息子さんの話をしていた。

まるで野生動物のようだなって思っていた。
自慢の息子さんなのだろうけど、他人に自慢したいというよりは、
ただただ、自分の息子が可愛くてしょうがないんだろうなって。


彼は元気で明るくて、頑張り屋で、スポーツマンで、健康そのものだった。
1回会って、その後何回かメールをしただけだったけれど、
すごく嬉しそうに地元の話をしていた姿は今でも印象に残っている。
自分が子供の頃は、もっとずっと地元は活気があった。
今は昔のような活気がないから、もっと盛り立てないとって言ってた。

「実家に帰ってきたら、今度地元で飲みましょう」って約束していた。


彼の名前は、明るい場所で聴くための名前だった。
私の職場には、かなり早い段階で彼の訃報が入ってきたけど、
いつまでも信じられなかった。

お通夜は、彼の誕生日だったそうだ。
600人近い参列者で、見たことのないほどの葬儀だった。
彼の親友がデザインしたという花祭壇は、
左手にオレンジ色の太陽を配した、波立つ海で、
その脇に、彼のサーフィボードが立ててあった。

それでも私には、信じられなかった。
何がなんだかよくわからないままお焼香をした。

それから一カ月、連絡を取っていいものかわからず気になっていた。
そうしたら、たまたまお母様と電話する機会があって、
今日、ご訪問することになった。

3時間くらいお話をしていた。
家族から見たら、可愛くてしょうがないお坊ちゃんだったのだろう。
でも、外から見たら、元気で明るくて、気配りのできる快活な若者だった。

時々、想い出話で笑いながら、お母様は何度も泣いた。
どんなに愛していたか良く知っていたから、私もたくさん泣いた。

それでもまだ私には、信じられない。
あんなに明るく笑っていた人の存在が、
今はもうないなんてわからない。

アルバムをたくさん見せてもらった。
彼が載っている診断士関係の書籍も大事に取ってあった。
たくさんの写真で、彼はすごく良い笑顔で、いきいきと写っていた。

そのなかで、婚約者さんとの一冊があった。

すごく幸せだったんだなっていうことが、黙っていても伝わってくる。
2人で寄りそって、腕を伸ばして撮った何枚もの写真。
誕生日のレストランで、バースデーケーキと一緒の笑顔。

最後から2枚目の写真は、彼のドアップだった。
おそらく、彼女がレストランで、差し向かいの彼を撮ったものだろう。
愛する人のレンズ越しだから写る表情。
穏やかで幸せそうな、すごく良い笑顔だった。

彼が亡くなった翌日が、婚約指輪の完成日だったそうだ。
ジュエリーショップを10ヶ所も回って決めたそうだ。
婚約者の方は、一人で指輪を引き取りに行って、彼に指輪を嵌めてあげた。

私には、ご家族の苦しみも、婚約者の方の苦しみも、とても想像できない。
こんなに若くて快活な人を失う苦しみは、きっと一生わからない。

もう一度、お線香をあげて、ご実家から失礼した。

生きること、命が消えること、私にはまだ、全然わかんない。
目の中に入れても痛くないほど愛し抜いた子供を失って、
それでどうやって前を向いて生きて行けるのかわかんない。
どうしたらお母様がいつものように気合いをいれて出社できるのかわかんない。

そして、婚約者の方の苦しみも。
彼女は何も悪くないのに、きっと、自分のなかで自問し続けているだろう。
同じ世代の女性としても、その苦しさは、想像できるものじゃない。

ただ、彼らの苦しみが少しでも癒えるように。
若い彼女がまた前を向けるようにと、祈るしかできない。

仕事をして、夜間大学院に行き、宿題をして、
診断士の研究会に出て、婚約者の方との将来を設計して、
睡眠時間はいつも3時間ぐらいだったようだ。
だけど、笑顔で元気そうにしていたから、周りも知らなかった。

物事に、そんなに簡単に答えは見つからない。
これから先も、ずっと、私にはわからないだろう。
どうして彼が亡くなってしまったのか。
そこに一体、どうやって無理やり意味を見つけたらいいのか。


ただただ、今も命あることに感謝して。
生きよう。



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2011年3月13日 (日)

いま起こっていることを、これからの自分に活かそう。

こういう災害を前にすると、自分は本当に弱いなぁと思う。
食欲が落ちて、2日で1.5キロと体脂肪が1%落ちてた。
なんの努力もしていないのに!
あんなに普段は肥える一方なのに!

被災しているわけでもないのにこのザマだ。
不安感なのか、気が重いような胸が落ち着かない感じが続き、
それが余震なのか動悸なのかよくわからん。
たぶん、自分だけじゃないんだろうな。

感情は大事だけど、感情に飲み込まれてはいけない時もある。
助けられない映像や、自分では防げないような危険性の指摘を見ていると、
感情の面で飲み込まれそうになってしまう。

無力がつらい。だけど、無力なのは事実。
目の前の食糧や衣類を見ると、
これを届けられたらってつい思っちゃうけど、
ここは勝手な判断をしないで、しかるべきところへ義援金だ。

簡単に感情が揺れそうなのは私だけじゃないようで、
今朝、相方さんがスーパーに行ったら、
なぜか人々が水とパンを求めてパニック状態だったそう。
相方さんは何も買わずに帰ってきた。
立地的に、パニックが起きるほどの場所ではないのに。。

不安感に流されてパニックになってしまうのが
いちばん危険なことなんじゃないかと思う。

経験することで肝が据わる。
生きていれば何十年かに一度こうおいうことがまたあるのだから、
いまをしっかり見ておきなって彼は言う。

私はお嬢様なのですぐにドキドキしてしまう。
一方、相方さんはヘンな人だけど、肝は据わってるからこういう時に助かる。
(珍しくのろけ。普段は文句しかネタが無い。)

午後、お天気が良かったから両親と犬の散歩に行った。
空が青くて、しばらくナーバスになっていた犬たちも楽しそうに走った。
10mという津波の高さを考えて自然の怖さをあらためて思ったけど、
公園を歩いて、ひさしぶりにすがすがしい気持ちになった。
沈み込み続ければ、身体も元気を失くしてしまう。

昨晩、たまたまリンクで“虚構新聞”という
おバカなサイトを見た。面白すぎて爆笑した。
そして、笑ったのはいったい何十時間ぶりだろうと思った。
深刻な事態だから、笑ったりするのは不謹慎だと、いつのまにか思ってた。
だけど、まだ始まったばかりのこの状況を元気に乗り切るためにも、
“笑う”ということが、重要なのかもしれないと持った。

落ち着こう。そして、自分の弱さをちゃんと知ろう。
そして、ここから何を学んでこれからどう考えるか、
どう生きて行くかをちゃんと考えよう。
ちゃんと、これから強くなるために。

落ち着こう。
いまできることは、節電と、義援金と、元気でいること、
そして、明日からの会社での対応を一生懸命やること。

余震に備えて、出窓の重たいステレオを床に下した。
そういうことは自分でできること。
でも、余震に備えて、1週間家に籠っているわけにはいかない。

だから、これだけ押さえておこう。

○車の運転中に地震が起こった時
(http://bousai.321smile.net/2006/03/post_80.html より)

車を運転中に大きな地震を感じたら、スピードを落として道路の左側か空地に停車し、エンジンを止めましょう。

カーラジオから正しい地震情報を入手してください。

車を降りるときは、すぐに車を移動できるように、キーは必ず付けたままでドアロックもしないようにしましょう。

車での避難は、防災活動や非難の妨げになる恐れがありますし、渋滞に巻き込まれる可能性もあるので、できるだけ持徒歩で避難しましょう。

・・・・・

できることと、できないことのなかで、
いまを大事にしていきたいと思う。

パソコンをエコモードにしてみた。すぐに目が慣れた。
ヒートテックを着込んで暖房を消した。寒がりでも大丈夫だ。
テレビを消してラジオにした。
いくつかの義援金サイトを見比べて、第一弾の募金をした。
(明日からはできないけど)明るいうちにお風呂を済ませた。
家族で順番に、なるべくテンポ良く。
ドライヤーの代わりに、バスタオルとタオルを重ねて肩にかける。
乾かせば明日また使える。

エコ生活してみると、意外と良い発見もある。
朝の水洗顔が、キツいけどちょっと心地良かったり。
廊下の電気とか、ダブルで付けてた洗面所の照明とか、
意外と無くても良いもんだな、とか。

これを機会に、この国はきっと、
エコを大切にする国になるんだと思う。

もうすぐ18時になるから、パソコンを落とさなくては。
笑顔を携帯して、元気に行こう☆

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心身ともに元気でいよう。

どの家族もたぶんそれぞれの大変さがあったように
我が家にもそれなりの大変さはあった。

だけど、きっと多くの方が同様に思っているだろうが、
被災地の方々の苦難と比べればまったく取るに足りない。

惨状の酷さと、それに対して何もできない無力さ。
そういうことを考え過ぎて心を消耗しないようにとの
ツィッターなどでのアドバイスも多くみる。

たしかに、考えすぎると心身ともに健康を損ねてしまいそうだ。

なにもできないけど、できる限りの節電をして、
自分なりの募金先を見つけて募金をする。

そして大切なこと。

今も元気でいることを大切にする。
せっかく元気でいられるものを、むざむざ損ねてしまわないように。
だって、健康を損ねてしまったら、
さまざまなエネルギーやケアが必要になるから。

元気でいよう。
大切なひとと、たとえ物理的には届かなくても、手を取り合って。
そうして自分なりに祈り、そしてできることをする。
あまりに大きな自然の力を前に、
吹けば飛ぶように小さなひとりひとりの祈りがつながり、
きっとそれでも、希望はまた芽生える。

悲しすぎるから、無力すぎるから、だからこそ。
希望を持って、心を元気に、身体を元気に。

明日も大事に生きよう。

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