2012年1月 4日 (水)

2012年は即行で。


あけましておめでとうございます。
昨年は役に立たないことしか書かないウシブログをご覧いただき
誠にありがとうございました。
本年も相変わらず役に立たないことしか書かないと思いますが、
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

いやぁ4日ですねぇ。
お正月休みって本当にあっという間ですねぇ~。

私は、1日早々になぜか熱を出して
1日夕方~2日はほぼ何もせずに寝て過ごしました。
予定は狂いましたが、引きかけていた風邪を
こじらせる前にさようならできて、すぐに元気になりました。

そういうわけで、昨日3日からやろうと思っていたことに着手しましたが、
3日は自分にしてはよく動けたので良いスタートだなぁと思っています。

今年はとにかく「即行」という言葉を念頭に動きたいです。
クリスマスイブの(←まだ何か納得がいっていないらしい)プロコン塾で、
顧問が仰っていた言葉です。

はっと思ったらパッと実行する。
「めんどうだなぁ」っていう気持ちが芽生えるその前に動く。

ああこれって、私にとって一番足りないことだなってつくづく思います。
たぶん私は、「即行」ができないことで、
24時間のうち2時間以上は無駄にしていると思うのです。
だからまず、その習慣を変えることで今思っている無理が
無理じゃあなくなっていくと思っています。

「今はまだ早いんじゃないか」
「もっと考えないと完璧にできない」
そんなためらいとか、決断することの先送りが時間を食い潰しています。
考えすぎて動けくなる前に、もう少し気楽に始めちゃえば良いんだ。

後に回さずに、まずちょっとでも着手する。
そうすることで、気持ちの上でもずっとラクになれると思います。

・・・・・

今の仕事に転職してから、これで丸3年が過ぎました。
この3年間がどうだったかなって振り返ると、
客観的にはそれなりに結果は出していると思う。うん、悪くない。
自分が関与したあれこれが、プラスの動きにつながっている、ハズ。
(まぁ上司から見たら相当危なっかしい感じだったのでしょうが、、)

このトシにして、これまでの仕事で最長でも2年未満しか
お仕事を続けたことがないキリギリスな私にとっては、
今の職場の年数は毎日が記録更新です。

何より、自由奔放過ぎて組織になじむのが苦手な私が、
かなり、相当、保守的で変化を好まない今の職場で(ちょいちょいやらかしながらも)
なんとか居心地悪くない程度に受け容れられながら動けていることが、
(まぁ本当は首の皮一枚な部分もちょいちょいあるでしょうけどw)
私にとってはだいぶミラクルだと思います。

外部からの評価も十分にいただけていると思うし、
そういう暖かい言葉をかけていただく時に、
なんだかんだと言って、私のようなアヤシイ経歴の人間を雇用して、
入りたてから(私にとって)楽しくてやりがいがあることを
ジャンジャンやらせてくれた職場や上司には感謝の気持ちでイッパイです。
ケンカも相当してきたけれども、自分の考えを受け容れてもらえた部分も
たくさんあるし、いろんな企画を通せたのも、上司のおかげです。
実現できたこと、変わったことを数えると、
小さな毎日も重ねればそれなりだなってちょっとは自信が持てる気がします。

ただ、そうやって自分を肯定できる部分もありつつも、まだまだなことも沢山、、。
正直言って、中途半端にしたまま放ってしまっている企画などもあり、
振り返ると胃が痛かったり心苦しいな~ということもゼロではない。
私次第で、もっともっと走れるだろうって思うこと、
もっともっとINPUTしないといけないことが、いくらでもあります。

とういわけで結論としては、「ゼロじゃあないけど、まだまだ足りん」という感じ。

転職する時に、お師匠さんからは
「3年で辞めたらいいんじゃない。それ以上いると組織に染まりそうだから」って
言われていたので、3年というのは私にとっては大きな節目です。

正直なところ、この先10年ココで働き続ける可能性はとても少ないと思う。
ただ、少なくとも向こう1年は、新たに進めたい企画もあるし、
脇目も振らずにココで働こうと思っています。

私の根っこは本能重視なので、
一生懸命にやっていれば、次のステップに進むときは直感でわかると思うので、
そういう転機が来たら自分で気づくと思うし、そうでない限りは焦って辞めようとは思わない。
私にとって大事なのは、中小企業や世の中に対して、
自分にできることを最大限やるためにはどうあるのが良いかっていうことです。
独立するかどうかとかは、今のところ、あんまりこだわりはありません。
今のところ、私はまだ今の職場で学ぶべきことがたくさんあるし、
現時点、今の職場にいる方が、中小企業や世の中に対してできることが多いと思います。

ただ、自分の居場所がある職場というのはいろんな意味で緩いので、
自分を甘やかしてしまわないように、手綱を締めておかなきゃあと思います。

職場を短期間で回転しながらキリギリス生活を送っていた頃は、
3カ月の意味ってすごく大きかった。
その職場になじめるかどうかはたぶん一週間で決まるし、
1カ月で大体の仕事の流れはつかめる。
もちろん、仕事の質も違うから一概に比較できるものではないけど、
でも放浪を繰り返していた頃、毎回新しい場所に飛び込んでいくから、
痛い目にもちょいちょい会いながら、アンテナを開いて、
仕事の内容、組織の色合い、めいっぱい吸収をしていくわけです。

私にとって大きな影響があった、3件目の牧場で働いたのはほんの7カ月。
7カ月ってたぶん、ぼーっとしていたらあっという間。
でもその7カ月にはたくさんのことが詰まっていました。
2件目の牧場でもたくさんのことを経験したけれど、それだって3カ月ちょっとです。

何にも持っていなかったあの頃の自分が時々私に問いかけます。
組織に甘えていないか?ちゃんと自分で考えているか?
居心地が良くなっちゃって、ガツガツしたものを失くしちゃってないかい?

今はまだ、この職場で働きます。
だけど、資格とか肩書とかじゃなくて、いつだって自分の価値は自分自身だけです。
私にはまともな職歴もないし、知らないことがたくさんある、
今のままでは、一個の人間としては通用しないなぁって思います。

組織に悪い意味で依存することなく、
自分自身の爪は研いでおきたいです。

そして、いつかこの職場から去る前にはきっちり義理を立てる必要があります。
ここで自分でできることは最大限やり尽くしておきたいし、
無理かもしれないけれど、自分がいなくなった後にも、
関わった方、支援した方に何かを残せるようにしておきたい。

まぁそこまで気負わなくてもいいんじゃないってよく言われますけど、
そういう気持ちはちゃんと持っていたいと思います。

ということで、今日からまた頑張って行きましょう。

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2011年12月20日 (火)

想い出の品(恋のカケラ)を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(番外)


◇恋のカケラを捨てる

10月29日に捨てた想い出品のなかで、特別な位置を占めていたもの。
それは古い恋の欠片だ。

最近別れたばかりの彼との間には、物質的なものが殆ど無かった。
買ってもらったバッグは、物としても気に入っているのでフツウに使ってるし、
彼は写真が嫌いだったから、
一緒に取った恋人らしい写真なんて、完全に、1枚も、無かった。(ヒド過ぎる!)
貰った恋文も、送った恋文も、0通。
ゆえに、捨てるという工程、そもそもナシ。

でも、学生時代の彼氏との間には、たくさんの手紙があった。
学生時代の彼氏のことが死ぬほど好きだったので、
(でも実際には死なないということがわかってしまった。大人ってさぁ。)
しかも文学部だし二十歳やそこらだったので、とにかく大量の文字を書いた。

そして、これが自分のイヤなところでそして自分なんだなって思うけど、
当時の私は、恋に溺れる自分をコントロールできない一方で、思っていた。

「こんなに恋に溺れるということは二度と無さそうだから、
 この異常な感じはなるべく記録として残しておこう。
 将来、小説とか書く時の参考になるかもしれないから。」

というわけで、私は、自分がブクブクに感情に流されて書いた手紙を、
せっせとコピーして手元に残していた。

実際のところ、そうやって書いた大量の手紙は、
もう触れることもできないくらい痛々しい存在になっていて、
私はただただそれらを仕舞い込んで、その後の10年を過ごした。

今回の大片付けで、もっとも越えなくてはいけないこと。
それは、あの時の彼氏にまつわる想い出品を処分すること。
最初からわかっていた。

大量の手紙のコピーと、そして、やたらたくさんの出せなかった手紙の原本。
カサカサと、折り畳んだ手紙を開くだけで、電気が走るような感じ。
静かな部屋に響くカサカサ音が、神経に触って、痛い。

そうやって私は数通の手紙を読んで、そして残りは読まずに捨てた。
大事に残してきた手紙の全てを、読むことはしなかった。
それはもう既に、旬を過ぎていたから。

手紙からは、当時の私の感じ方がぶわぁっと溢れてきて。
それは、全部の手紙を逐一読まなくても感じ取れると思った。
そしてそれは、今の私とはちょっと違った。
もっと正直に言えば、ピリピリして吐き気がして、読めなかった。
純粋な愛ならば、繊細ならば何をしても良いと思っている、
若さを自覚し、それゆえに傲慢な愛。

当時の自分は、今の私につながる大切なものだけど、
当時の思考回路を、もう、愛することはできないんだとわかった。

本当は、そんなことは前からわかってた。だから封印した。
だけど捨てることができずにいた。

当時の自分のことは好きになれない。
でもその恋はきっと特別な恋だったから。

大人になって振り返れば、そういうことってただタイミングで、
たとえば今になって彼と再び深く関わることがあるとしても、
もう同じように恋したりは決してしない。
だからこそ、大事に大事にして、大事にしすぎて囚われた。

他の人から見たら特別じゃない、自分にとってだけの特別。
きっと私だけじゃなくて、あなたの心にもあるでしょう?

私は彼とはじめて話した時のことを、今でも憶えている。
高校の担任の先生が誰だったとか、色んなことを驚くほど覚えられないのに、
18歳の私がはじめて彼と交わした冗談と、彼の洋服は全部憶えている。
白のワッフルTシャツと、形の良いジーンズと、
水彩画みたいな素敵なシャツと、黒いチョーカー。

そのチョーカーが壊れた時に、私はそれをお守りにもらった。
捨てるタイミングを失くして、未だに仕舞い込んでいた。

そして何よりも、彼からもらった17通のラブレター。
オーケストラで海外遠征中の私を励ますために、
手紙が得意ではなかった理系の彼がくれた17通のファックス。
懐かしい彼の、少し癖のある縦長の文字。

私はその17通を、生涯捨てることは無いと思ってきた。
でも、今回の片付けではこの手紙を捨てなくてはいけないと思った。
感情を素直に認めれば、本当は捨てたくない。
だから一通一通、残さず読み返した。

私自身が書いた手紙にはうんざりしたけれど、
彼からの手紙に救われる気がした。
そっかあの人は、私のことをこんなに好きでいてくれたんだっけ。

でもその一方で、ようやく私は気が付いた。
あんなに彼が好きで、ああやって彼にすがることばっかり考えていた。
だから私は、海外遠征で失敗したんだな。

本当は、自分が思うようには、周りは私を責めていないことを知ってる。
むしろ本当は、失敗したと思っているのは私だけなのかもしれない。
だけど私の音楽は、最後に届かなかったんだ。
もっと高く、思い描く音楽に届くと思っていたのに、
自分が思う場所には全然行けなかった。だから私は自分を赦せない。

大好きだった彼はすごく素敵な音楽のセンスをしていた。
彼は、私が音楽について思うことを全部わかってくれた。
一学年先輩の彼と恋をして、私の音楽は周りが驚くほど変わっていった。
だけど、最後の年に一緒に音楽をする仲間は彼ではなかった。

時には弱くなりたい時もある。
けれど、弱くなる方にばかり傾いてはいけなかった。
私は、自分が苦しんだり可哀想だったりしたら、
彼が心配して優しくしてくれるから、
自分が弱くなる方に、どこまでも傾こうとしていた。

私は、音楽性の相違を彼に嘆くのではなくて、
目の前にいる仲間たちと、もっと理解しあう努力をすべきだった。
たとえ無理だったかもしれなくても、その努力をするべきだった。
仲間の良いところを見たり、信じようとするべきだった。

彼のことが大好きだったけど、音楽だって好きだった。
たくさん練習して、悩んで育って、ようやく掴んだポジションだった。
大好きな楽器、大好きな譜面、大好きなソロパート。
そして一生に一度しかない、世界一の舞台たち。

あの時、私が最も持つべきだったのは強さだ。
自分の大切な音楽を信じる強さ、
自分のこれまでの努力と進化のプロセスと成果を信じる強さ。
それが無くては、心が弱った瞬間に唇が震えて、もう吹けない。

ピッコロは一人でオケを突き抜けて行く楽器だ。
あんな小さい楽器で、オケ全体を相手にできるぐらいに輝ける。
恐れずに出て、息の勢いを周りと合わせるから、
飛び道具でいても、その音色をオケに溶かすことができる。
だけど足がすくんだら、途端に全てが恐怖に変わる。
はじめてピッコロで舞台に乗った時のあの快感を、
大事にし続けることが出来なかった。

あの時の私は、自信が必要だってことに気付いていなかった。
音楽には謙虚であるべきだと思い過ぎてバランスが悪かった。

そんな私に、師匠は言ってた。
「今の君の音楽はマスターベーション。そんな風に、
 私はこんなに辛いんですって音楽を、お客さんは聴きたいと思う?」
師匠はちゃんと指摘してくれていたけれど、私は理解しなかった。

そういういろんなことを、
私は17通のラブレターを読んで、唐突に理解した。

そして多分、それはまだ私のなかで終わっていない。
今も私は、未来よりも過去にすがろうとするし、
強さよりも弱さに傾こうとする。
昔と同じように、今も自分に自信が持てないでいる。

謙虚さは大事だけど、自分を信じなくては、強く成長していけない。
私はもう、何かや誰かに依存しないで、自分の足で立つ意志を持つべきだ。
また同じ失敗を繰り返して後悔しないように。

私は過去から自分を放って、そして自分のパラダイムを変えて、
未来に向けて歩いていくんだ。

だから、この手紙たちにはさようならをする。
私を想って、こんなにたくさんの文字を書いてくれてありがとう。
想いを届けてくれてありがとう。

抱きしめた手紙の束を、想い切るようにして袋に仕舞った。

非常階段の秘密のキス、手をつなぐ冬の日、
腕の中から見上げる笑顔の口元と、その向こうの星空。
私に恋を教えてくれてありがとう。

そうして私は数日後、手紙をシュレッターにかけた。
ミリミリという音がして、一瞬で想い出は形を失くした。

でも大丈夫。きっと大丈夫。
幼い恋は記憶からは消えないし、それが今の私につながっている。

手放す過去の居場所に、
同じくらい素敵な未来があるって私は信じる。

ちゃんと自分を信じて前を向こう。
そしてもしも本当に好きな人ができたら、ちゃんと恋をしよう。

だって恋って、幾つになっても素敵でしょう?

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2011年12月18日 (日)

想い出の品(手帳など)を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(6)


◇想い出品を捨てる

10月29日から、想い出品を捨てることに着手した。
私にとって最も捨てられない、最後の砦だ。

過去の手帳・日記・恋文・手紙・作文・子供の頃の作品類、
あらゆるものを、やはり客間に並べる。
一体この中に、どれだけ大量の文字が書かれているのだろう。

結論から言うと、これまで保管していたものの2/3程度は捨てた。
手帳の類は捨てて、日記類の大半は残した。
手紙を間引きしながら、いくらかは残した。

私にとって、文字というのはちょっと特別なので、捨てられない部分はある。
捨てることが目的じゃなくて、大切なものを残すのが目的だから、
捨てたくないものは、端からみたらバランスが悪くても、残して良いのだと思う。

手帳にも、細かい字で書きこんだ日記的な部分もあったけれど、
それらは思い切って捨てることにした。

捨てる前にパラパラと眺めた。

これまでに無い次元で、抜本的に改革的にものを捨てて行くことは、
それまでの自分と改めて向き合う儀式のようなものなのだと思う。
何回も繰り返すことじゃないから、時間をかけた。
忘れていたいようなことも、捨てる前に振り返った。

私が手帳を使い始めたのは、大学生になってからだ。
大学で所属したオーケストラの練習会場は日々変わった。
大学構内から、遠い場所だと高島平や江東区あたりまで。
練習の後に、パートごとに集まり、練習会場や曲目を告げられる。
オーケストラと、バイトのシフトと、友達との約束。
その間に綴られている幼い言葉。

学生時代のことは、懐かしむよりも痛いことの方が多い。
まだ鼻をへし折られる前の、自分が絶対的に正しいと信じていた頃のこと。
だけど未来は見えなかった。全然良くわかんなかった。
ただただよくわからんことを悩んで過ごして、
ただただ楽器を吹いて最後に失敗した。
その頃の自分の思考回路には、ちょっと吐き気がした。
まぁでもその時は真剣だったんだからしょうがない。
失敗するなら全力で失敗した方が良い気がするから、まぁいいや。

学校を卒業してからは、友達との約束くらいしか書かれていない。
仕事を転々としていたので、ちょいちょい職探し中のメモがある。
新卒就職もせずにふらふらとして、仲居さんをやったり牧場で働いたり、
人生は楽しかったけれど、転職市場での価値は全く無かった。
知能テストだとかの成績を誉められることはあっても、
雇ってくれるところは滅多に無く、大手の正社員なんて絶望的。
手堅い会社だと派遣ですら潜り込めない。
そりゃそうだよね、私が雇う側なら、
下手に学歴だけあって職歴が無茶苦茶な人間なんて、絶対に雇わない。

あのもやもやした数年間。
手帳に書いてある人の名前の大部分が思い出せなくて、
そんな自分の時間の過ごし方に軽くクラクラした。
ヒマを潰すように、空白を埋めるように飲みに行っていた季節。

振り返ってみて実感したことがある。
診断士になってから、いっちょまえに賢いフリをしているが、
私の本性は、ものすごくバカだ。

単純にバカなんて表現すると、その定義はなんぞやって
ややこしい感じになっちゃうんだけど。


私の過去の点と点はまだ全然つながっていない。
だけど、本当にろくでもないなぁ、
何考えてたんだろなぁっていう時代の
ふらふらした感じも経ているのが今の自分なので。


手帳に文字を綴っていたころの自分を思う。
「あなたは自由で羨ましい」ってまともな友達に言われながら、
本当は自由じゃないと知っていた。
人と違う風にふらふらしていれば、その分だけリスクが増えるは当然だから。
まともな友達がまともなものを積み上げている間に、
私はひたすらふらふらしたり酔っぱらったりしていた。
今の私だって先は見えていないけれど、あの頃よりはだいぶいい。

手帳に文字を綴っていたころの自分を思う。
刹那的で毒気が強くて、感情優位で純粋で非生産的な愚か者で、
考えているんだか考えてないんだかわからない。
吐き気がするほど腹立たしくて痛々しくて少しだけ愛しい。
でも間違いなく、それも私のなかの一部だから。

それは私で、私の原点で、この先もう少しまともになったとしても、
自分の中のそういう尖っていてろくでもないものは無くしちゃいけない。

その頃の私が書く文章はもっとずっと荒れていた。
視点も偏っているし、言葉はまとまらなくてぐるぐる回る。
だけど今より、鋭利な部分やきらきらした部分、捨て鉢な強さがあったように思う。
今の自分が、少し小さくまとまり過ぎてるんじゃないかと、時々危惧する。

私のなかにつながって残るものと、
別れを告げるべき物質たちと。

捨てるということは、時間の経過を受け容れることなんだ。
これらの手帳をシュレッターに掛けることは、
過去を過去だと認めるための儀式のようなものだ。

過ぎた時間の記憶は残る。
けれど、過ぎた時間は二度と戻らない。

そんなことを思っているうちに、
これまでずっと私は、過ぎた時間を悼んでばかりいたことに気付いた。
まだ中学校くらいの頃から、もう小学校が終わってしまったとか、
もう18歳になってしまって17歳ではなくなったとか、
失われた時間ばかりを悲しんで過ごしていたような気がする。
後ろばかりを見ている間に、今を取りこぼすから、未来はいつも恐怖だった。

だから私は、想い出の品を捨てることにする。
身体の一部を抹消するような感覚で、鈍い痛みを覚えながら、
シュレッターにかけて消していくこと。
だけどそれは、本当は身体の一部じゃないから消しても大丈夫だ。

過去の記憶は醸成されて自分の骨肉になる。
そして私たちには、今と未来しかない。
今と未来をもっと大切にしようと思った。

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2011年11月21日 (月)

小物を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(5)

◇CD、化粧品類を捨てる

10月23日、少し時間があったので、CDと化粧品類を捨てた。

CDは、放っておくと増える一方だ。
PCに落としたいものは袋に入れておき、
廃棄して良いものを選り分けた。

昔の男友達がくれたCDとかも捨てる。
今はときめいていない音楽を捨てるとそれなりにスッキリした。
本棚の開きの上段にクラシック、下段にポップス。
溢れていたCDがなくなったので、整頓が維持できる状態になった。
でも結局、クラシックは殆ど捨てられなかった。
不変の名曲は名曲なんだぜ。しょうがないね!

次は化粧品類、本当はずっと捨てたかった。
使いもしない試供品の山とか、
数えたら10年も前のアイシャドウや口紅の使い残しとか。
いつか使うとかって絶対嘘だわ。

化粧品類を捨てて行くと、総量は1/2以下になった。
在庫も1トレイにまとまった。
毎朝使う化粧品も、4つのケースを使っていたのが2つに減らせた。

これまでは、衣装ダンスの上を化粧スペースにしていて、
衣装ダンスの上に、鏡・細長いトレイ・大き目のトレイ、
衣装ダンスに隣接するカラーボックスの上に、小物入れ2つを置いていた。
便利っちゃ便利だけど、色んなものが置いてあるので雑然とする。
埃も出やすいし、物が多いから拭き掃除するたびに大変だった。

捨てて行くことで、これらを2つのケースに統合できた。
そこで、クロゼットのなかのカラーボックスの中段を、
この2つのケースを置く場所に決めた。

毎朝起きると、クロゼットから2つのケースを取り出して化粧をする。
朝、家を出るまえに、ケースをクロゼットに戻す。
増えた手間は数十秒。これで、タンスとカラーボックスの上はスッキリだ。

◇小物類を捨てる

10月24日、小物類に着手する。

まずはヌイグルミ。
本棚の上に、10匹ぐらいヌイグルミが並んでいる。
中学の時の親友がくれたアリクイ、大学の後輩にもらったパンダ、
大好きだった彼がくれたハリネズミ。
テディベアに各所で集めた牛シリーズ。
ディズニーストアで奇跡的に出逢ったデイリーマン(酪農家)スタイルのプーさん。

捨てがたくてしばし思案する。でも決めた。
今までどうもありがとう、さようなら。
白い綺麗な紙袋にみんなを詰めて送り出した。

残したヌイグルミは、枕元の牛トリオ。
1頭は今は遠く離れたお友達がくれた、世界で一個の手作り牛ヌイ。
彼女が私のためにデザインしてくれた恐るべきハイクオリティの牛さん。
これはたとえ彼女ともう二度と会えなくても、一生大事にするものだ。

あとは、BEANIEBABIESの牛2頭。こいつら可愛くて手放せません。

Frosty
http://www.amazon.com/TY-Beanie-Baby-FROSTY-Bull/dp/B000E7KQUI
Tipsy
http://www.amazon.com/TY-Beanie-Baby-TIPSY-Cow/dp/B000E4Q6LE

BEANIEBABIESはty社のヌイグルミですが、
数百種類もあって超オススメです。って薦めてどうする!

次はアクセサリー。
やはり、持っているアクセサリーを全部並べる。
ひとつしかないイヤリングがいっぱい。

プレゼントで貰って気に入っていたけど、
もう古くなってしまって使えないペンダントといか。
デートしていた時に片耳壊してしまったイヤリングとか。

ひとつひとつ記憶をよみがえらせてさよならを言った。
懐かしい通り過ぎた時間のためじゃなく、
これから先のまだわからない楽しいことのために、この場所を空けるんだ。
関わったもの全てを残しておかなくても、想い出が消えるわけじゃない。

最後に、小物類。

これまでに色んなものを捨ててきたから、小物を捨てるのは難しくない。
もらったけれど使っていない、仕舞い込んだままのお土産類は、
気持ちだけ受け取ってさようならだ。

子供の頃の古びたポーチやよくわからない色んなもの。
持ってても何年も使っていないラッピンググッズ一式。
使わないまま色褪せた山のような絵葉書やレターセット。
もう使わないマイクロSDカードとか、大量のコード類、取扱説明書。
なぜか溜め込んでいるブティックやアクセサリーの袋類。
使わないけど大量に持っているポーチ類。

だけど、昔サッポロカフェオレのノベルティで集めた
「5大乳牛ストラップ」は残す。
その後に出た古代牛シリーズはどうにもときめかないのでさようなら。

自分でもなんだかわからないうちに、
5.3畳の狭い部屋にどんどん空間が増えて行く。

片付け祭りは、身体の贅肉をそぎ落としていくのと似ている。

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2011年11月19日 (土)

書類を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(4)


◇書類を捨てる

10月16日、書類を捨てた。
やはりあらゆる書類を部屋に積み上げる。

診断士になってから、ますます捨てることができなくなっていた。
他の人のプレゼン資料を見れば、自分の参考になるのではと思い、
研究会に出るたびに資料が増えて行き、狭い部屋を埋めた。

とりあえずとっておいた書類たち。
だけどそのほとんどは読み返すことはない。

自分の興味関心に直結するものだけを選り分けて、
大量の書類を捨てることにした。

自分が合格した年のTACパンフレットももう要らない。
診断士受験の模試の成績表もさようならだ。

捨てずに取っておいた成績類。
そっか、私はきっと、そういう成績とかに、
なんだかんだ言って結構依存して生きていたいんだなって気付く。

2005年10月、診断士の受験を真面目にすることにしてTACに通い始めた。
2004年の12月まで、北海道のド田舎の村で、
ひたすら搾乳をして、子牛を引っ張って、干し草を運んで暮らしていた私には、
TACの教室を埋める、エリート会社員な人々は本当にまばゆかった。
名刺交換のやり方すらよくわからない私にとって、
彼らと自分は天地ほど遠い存在に思えた。
そもそも、当時の私は派遣社員で名刺すら持っていなかったし。

この教室で一番バカなのは絶対私だって思い、
だからこそ、きっと脱け出してやるって思った。
恥ずかしくて聞けないような小学生レベルの質問から先生にしていた。
いまの私がバカであることを恥ずかしがる必要なんてない。
大事なのは、受験の時にちゃんとわかるようになっていることだから。

答練や模試で好成績を取るたびに、先生に褒めてもらうたびに、
本当にうれしかった。いろんなことは自分次第でまだやり直せる気がした。
模試の成績表は、当時の私にとっては大事な勲章だった。

だけど、今はもう受験生じゃない。
その時がんばることは大事だ。勲章も必要だ。
だけど階段を昇ったら基準だって変わる。

模試の成績と実務の出来にはまったく相関性なんてないから。

自分を弱くするだけの古びた勲章はもう要らない。
ただただ今は、自分の持ち物を適正な量まで減らしたい。
この混乱から抜け出して、片付けなんて必要のない暮らしがしたい。

そして今の自分に足りないことをちゃんと見て、
そのために必要なことを真っ直ぐに取りに行きたい。

実抜的な片付けを徹底的にそして速やかに完了させるんだ。

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2011年11月15日 (火)

書籍を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(3)


◇書籍を捨てる

10月15日、洋服の次は、書籍を捨てることにした。
捨てたのは古本屋行きが271冊と、その他、売れそうにない書籍多数。

またしても、自分の持っている書籍全てを客間に運び込む。
私は決して読書家な方ではないが、それでも500冊は越えるだろう。
ビジネス本、資格のテキスト、小説、文庫本、結構な量のマンガ本。

書籍も一冊一冊手に取ってみる。
我ながら、積読本が多すぎて情けない。

未読のまま放置していたような本は捨てるべきなのだ。
どうせ、未読本が溜まり過ぎて、今の私にはどうすることもできない。
一定量を溜めてしまった雑誌だって、さかのぼって読むことなんて有り得ない。

診断士に合格したての時に、次は簿記1級だと揃えたテキスト、これも捨てる。
ハラショーくらいしか憶えていない、第二外国語だったロシア語テキストも。
牧場で働いていた時に、友達に習っていたタイ語の教材一式も。
英語すらできない私が、ロシア語もタイ語もやるわけない。

もはや全く読めない、自分で書いたはずのタイ文字に、
懐かしさやら情けなさやら感じながら、ノートも単語帳も捨てる。

『ガラスの仮面』文庫本全巻も。
『働きマン』も。『動物のお医者さん』も。
手元に置いておけばまた読みたくなる日もあるだろう。
だからこそ今は、手放した方がいい。

マンガ本は10冊だけにしてあとは捨てた。
でもそのうち5冊が『臨死!!江古田ちゃん』であることは大きな声では言えない。
ぃやどうしても江古田ちゃんだけは手放せないんだよねぇ。

残したのはビジネス本数十冊のほか、

ミラン・クンデラの書籍、これは一冊も捨てたくないので無条件に残す。

あれ『可笑しい愛』が見当たらない。
まぁいいや、元々、前の『微笑を誘う愛の物語』の方が、
見た目とタイトルが好きだったので、アマゾンで買い直す。
2回読んだ『冗談』もやっぱりどうしても手元に置きたいので、
入手できなくなる前にアマゾンで買う。

大学卒業以来ずっと読んでないにもかかわらず
三島由紀夫とドストエフスキーと夏目漱石、吉行淳之介などの
文庫本はどうしても手放したくないので手元に置いておく。

逆に、高校時代とっても好きだった吉本ばななは、
今はときめかないので手放した。
書籍が変わったわけではない。私が変わったのだ。
変わらず好きなものもあれば、その時だから好きなものもあるのだろう。
俵万智は『チョコレート革命』だけ残す。


未読本や、過去に愛した本を捨てるのは、やはり辛い作業だ。

未読本を放置してきた自分のアホさ加減がしんどい。
投資してきたお金を思うと情けなさすぎる。
だからこそ、一度リセットしたい時には、思い切って捨てるべきだ。

過去に愛した本を、今はさほど愛していないということを、
認識するのもなんだか切ない。

学生の頃、高村光太郎の『智恵子抄』が特別に好きだった。
いまはその言葉を読み返そうとはしない。

学生時代の私は、もっと自分が繊細で美しくて弱いものだと信じていた。
今の私は、自分が思っていたよりもずっと頑丈で、
どれだけ現世で揉まれようが、おそらく精神に異常を来たすことはなく、
それゆえ、若い私が思い描いたように繊細でも美しくもないと知っている。

ぼろぼろになった文庫本を、捨てることはしなかったけれど。

手放してきたもののかわりに、私はいま何を手に入れているんだろう。
昔あこがれていた姿と、いまの私はきっと違っている。
いまの私には、かわりに手にした何かがあるのか、まだわからない。

どうしても片付ける客観的必然性なんてない。
だけどどうしても今、片付けをしたい。
だから、徹底的に片付けをすることに決めた。

じんわりと心に沁みるいろんなことの末に、
ベッド脇のカラーボックスの上段には、
いまも捨てたくなかった古い文庫本がずらりと並ぶ。

いつになったらそれらの小説を読み返せるのかわからない。
擦り切れたドストエフスキーやら夏目漱石やらの
新潮文庫の背表紙が並ぶ眺めがベッドのすぐ横にあることが、
もう無条件に愛しい。

そんな部屋の風景を、とても心地良いと思う。

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2011年11月13日 (日)

洋服を捨てる…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(2)

10月10日、まずは洋服を捨てるところから片付けに着手した。

オンシーズンも、オフシーズンも、コートに部屋着に下着まで、
持っているあらゆる洋服を全部、客間に積み上げる。
部屋にあったものも、納戸に寝かしていたものも、とにかく全部だ。
室内が足の踏み場もなくなり、しばし呆然とする。

気を取り直して、オフシーズンのものから1枚1枚確かめて捨てていった。
高校のセーラー服も捨てる。大学時代の海外遠征Tシャツも写メだけ撮って捨てる。
大学の頃にお気に入りだったプリーツスカートなども残っていた。12年前だって。。

かつてお気に入りだった洋服でも、もう着なくなったものにはさようならだ。
丁寧に畳みながら、捨てる洋服が積みあがる度に荷紐で束ねていく。
捨てる洋服は7束になった。ゆうに100着以上あるだろう。

1枚1枚、手に取って畳むと、その洋服に付随する過去の記憶がよみがえる。
このスカートを履いていたのは、あの人にあっていた頃だ。
ほとんど思い出すこともなくなっていた過去の親しい人の顔が浮かぶ。

捨てたくないのは、記憶を切り離したくないからだ。
だからこそ捨てなくてはならないのは、今もう私はそこにいないからだ。

大好きだった服だって、着古してボロボロになったらさようならだ。
ボロボロになっていなくても、年月を経れば似合わなくなる。
捨てるべきものにきちんと別れを告げることは、時間の経過を受け容れるためだ。

これでもかという胸の谷間を作ってみたくて買ったヌーブラにもさようならだ。
結局、一度も使わなかった。というより使いこなせそうになかった。
ミネフジコみたいな胸の谷間は素敵だけれども、
一度くらいボールペンとか挟んだりしてみたかったけど、
私が好きな服には似合わない。

畳んでいく洋服から伝わってくる記憶は、涙を流させるほどに鋭利ではなかった。
何年も経った法要のような、川下まできた石のような、懐かしくもある鈍い重さ。

今とこれからも着たい洋服だけを残して、
過ぎた時間を象徴するためだけの洋服は捨てた。
まだ着れるものでも、もう旬を過ぎた洋服は捨てた。

箪笥の中は、人生ではじめて完璧な5Sの状態になった。
たぶんもう2度と、私の箪笥は前のようには乱れない。

【洋服を捨てて得られた効果】

・自分が持っている洋服を全て把握できるようになった。

・手持ちの服を把握しているため、前夜の入浴時に次の日の洋服を決めて、
 それに合う下着を選べるようになった。

⇒朝になって、やっつけで洋服を選ぶことがなくなり、手を抜かなくなった。
 「ラクな服、どうでも良い服」という基準で通勤着を選ぶことがなくなった。

・(まだ途中だけど)少し痩せた。

⇒自分が気に入っている洋服を着るためには、体型の維持が必要なため。

【洋服を捨ててわかった自分の傾向】

・体型上、襟ぐりが詰まった洋服は似合わないので、買っても着ない。
 (冬場は寒いから何着か必要だが)
 原則として、胸元がきれいなカットで開いている(ただし開き過ぎない)服が好き。

・シルエットが綺麗で上品な服が好き。ラインが綺麗なスカートが好き。
 女性らしい洋服も好きだけれど、ゴテゴテ過ぎると着ない。

・だぶだぶした洋服は結局着ない。

⇒丸顔なのと体型上、だぶだぶした洋服を着ると太って見えるので結局着ない。

・きちんと痩せている状態の自分が好き。

⇒痩せている時に買ったパンツはどうしても捨てたくなかった。
 つまり、それらが履ける体型を維持していたい。

・冬場は、間に合わせの洋服がほとんど。
 心から気に入っている洋服が少ない。

⇒ここ数年、冬にはいつも太っているため、納得が行く洋服が買えていない。
 そのため、着古したスーツも買い換えられず、
 カットソーも間に合わせで買っている。


【以上の結果、これからすること】

・バーゲン品とか、やっつけで服を買うことはもうやめて、
 本当に気に入った洋服だけを選ぶ。

⇒本当に気に入っていれば、たくさん着るので定価でもモトが取れるし、
 バーゲン品や衝動的な無駄買いをやめれば、
 定価買いでもたぶんトータルコストは変わらないから。

・冬場のために本当に気に入った洋服を増やす。

⇒今冬、最低でもスーツ1着とコート1着を買うべき。
 スーツに合うカットソーの綺麗なものが3着欲しい。
 (気に入ったものがあれば順次増やしていく。)
 それから、パンプスが2足必要。黒と、黒以外。
 ヒールは5cm以上で、歩きやすくて形がきれいなもの。

・冬の部屋着は、なるべく薄手で暖かくて、
 体型がバレバレで伸縮性が良いものをさがす。
 イメージとしては、全身タイツが理想。
 
⇒冬場肥らないため、かつ、かさばらずに収納するため、
 かつ、腰や肩に負担をかけないため。
 「家の中ではなるべく欠点を露出していた方が良い」というのが、
 体型維持のための結論。

-------------

というように、洋服とじーっと向き合ってみると、
自分のこれまでの買物の失敗と、買うべきものがよくわかるようになった。
無駄買いも減らせそうな気がする。

さようならした洋服の山
Img_0967

そして5Sな箪笥…ちなみに1カ月経過後も同様にキープ☆

Img_0973


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2011年11月 9日 (水)

人身事故に翻弄されたので主体的な意思決定についてちょっとだけ考えた。


今日は有休をとって、診断士のシンポジウムへ。
未来工業の社長さんのお話聴きたかったので。
基調講演だけ聴いて、友人とお昼を食べて、買物して帰って来る予定。

でしたが、駅についたら人身事故で電車が動いていない。

20分遅れで到着、というのを待って乗ったけど、
そこからさらに渋滞で動かない。

のろのろ運転の電車に乗りながら様子を見ていたが、
講演の半分は聴けないという計算になったので、
途中で降りて引き返した。

9時に地元駅に付いて、そして11時に地元駅に戻ってきた。
2時間のロス。だけど本を読んでいたから丸ごとロスではない。

改札を出て、歩き出して、意外と気分が良いことに気付いた。
運が悪かったなって引きずってない。
手に入れられなかったものをいつまでも数えていない。
切り替え下手な私には珍しい。うん、いい感じだ。

そこで、時間を割いて文章にして頭を整理することにした。

気分が違う理由はわかっている、自分の対応がこれまでと違ったからだ。

これまでの私であれば、人身事故や予期しない障害にあった時には、
被害者気分になってしまうため、冷静に考えることがあまりできなかった。
全く考えていないわけではないし、逼迫していれば代替案を必死で考えるけど、
基本的に「今日はツイてないなーもう!」って思っているから、
とにかく気分が良くないし、発想もいまひとつ。

今回は、電車遅延が深刻そうだとわかったため、
「これ以上の遅刻なら、やめて引き返そう」っていうラインを決めた。
ラインを引くにあたって、遅刻時間の目安・交通費・
参加した場合と参加しなかった場合の、残り時間の使い方、
遅刻して参加した場合の自分の感情の動き方などを、
なるべく考えてみるようにした。

そして、のろのろ運転の不確実さも含めて、
途中で決めて、電車を降りて引き返した。

せっかくの良い講演が聴けなかったのに引きずらずに済んだのは、
考えて自分で選択肢を決めるプロセスを経たことで、
自分の中での今日の位置付けが、
「翻弄される日」ではなくて「主体的に決めた日」に変換されたからだろう。

淡々と考えることで、今日のことは、
ちょっと運が悪いけど、世の中で起こる様々な不確実性と比べたら
別に大したことじゃないなぁと冷静になった。
たまには朝の地元を歩いて帰るのも気分が良いし、
平日の1日を家でじっくりと勉強して過ごすのも良いな、とも思った。
(てゆーかもう勉強しないとやばいんだが)

うん。
8月にTOCfEのセミナーを受けて以来、
ちょこちょことクラウドを書いたりして、
ちゃんと考える訓練をしていることが、
こんなことにも出てるのかも。


(ご参考)クラウドについて、村上悟氏が説明した記事
http://monoist.atmarkit.co.jp/fpro/articles/toctp/02/toctp02a.html

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2011年11月 7日 (月)

今度こそのエクソダス…人生最初で最後の勢いで片付けプロジェクト(1)


10月10日に着手して以来、ほぼ3週間にわたり、ひたすら片付けをしていました。
人生で最初で最後の大片付けのつもりです。

「もう洋服もその他もろもろも自分が何を所有していて何を必要としているかすらわからない」
というモノ溢れの状況下で、ずっと抱えていた潜在的なニーズと、

「環境が一変するほどの大片付けをするとしたら、
 自分にとって非常に大きな存在だった彼氏と別れた今しかない」
というタイミングとがあいまって、着手しました。

「彼氏と別れることのハードさと比べたら、物を捨てるなんてちょちょいっすよ!」
という、心理的錯覚みたいなのを利用しているんだかなんなのか。

そして、片付けに際しては、書籍の力を借りました。

『人生がときめく片づけの魔法』
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%8F%E7%89%87%E3%81%A5%E3%81%91%E3%81%AE%E9%AD%94%E6%B3%95-%E8%BF%91%E8%97%A4-%E9%BA%BB%E7%90%86%E6%81%B5/dp/4763131206

※この本を他人に薦めるかというと、
「クセがあるのでご自分でご判断を」という感じです。

多分、合わない人にはもはや宇宙語だと思います。
本屋でパラパラと数ページめくって、違和感がある人は、
きっとやめておいた方が良いと思います。

ただし、私にとっては強烈に効きました。
この本は、女子が片付けにつまづく細かいツボを本当に良く抑えています。
たとえば、捨てる服を母親に見せてはいけないとか…。
謎のコードは永遠にナゾのままとか…。

5Sの効用を何回も習ってつくづく納得しながらも、
実際にはこれまで「捨てる」ことができない私にはぴったりの本でした。

どうしてもどうしても片付したい。
自分のパラダイムを変えたい。
だけど、いくら片付や整理術についての知識を入れても、
実際には未決裁事項が残り過ぎて片付けが終わらない。

そういうわけで、今回は、この本が示すステップをほぼ忠実にたどりました。

実践本やマニュアル本読んでも、過去に一回も実践したことがないという、
学習しないウシ子にしては、これはとっても珍しいことなんですよお客さん!

というわけで、下記のステップで手持ちの物を総チェックして、
一個一個捨てて行きました。
時間がかかるので、土日祝日で1ジャンルずつやっていきました。

(1)10月10日~洋服⇒100枚以上さようなら
(2)10月15日~書籍⇒271冊古本行き、その他、廃棄あり
(3)10月16日~書類⇒読み返していないセミナー資料等も相当量さようなら
(4)10月23日~CD・化粧品類⇒数えてないけどそこそこ捨てた
(5)10月24日~ヌイグルミ・アクセサリー・小物等
⇒本棚の上の想い出のヌイグルミたちと総さようなら、等
(6)10月29日~想い出品(過去の手帳・日記・恋文・手紙・作文・子供の頃の作品類)
⇒保管していたものの2/3程度はさようなら
(7)11月3日~写真類
⇒40%くらいは捨てたかな?

今回の片付けというのは、私にとって過去の総棚卸でした。
本来、他にすべきことはいくらでもあるはずですが、
どこかで思い切って、集中してやらないと
永久に私は物の間で圧迫されて生きて行かなくてはいけないし、
永久に私は過去の栄光だか過去の恋の想い出とか、
そういう今では無いものに都合よく頼って生きて行ってしまう。

だから今だと思って、「not to do(今はやらない)」とぶつぶつ呟いて、
他のことを殆ど全部後回しにしてひたすら片付けに熱中していました。

いま実感しているのは、
やっぱり、ECRSは正解でした。
5Sも正解でした。

とにかく、まずは「捨てる」が先。
捨てていくとスペースが生まれて、収納の問題は自然と決まって行きました。

今はまだ、9割ぐらいの段階で、いくつかやることが残っています。
でも、10月11日に整理整頓した洋服ダンスの中は、
約1カ月経っても、完璧な5Sを維持しています。

私の部屋は、過去の35年間で一度も経験したことがない、
整頓された空間になって、空気までキレイになったみたい。
その空間は、私にとっては理想的な場所に変わりました。

余計なものは目に入らず、壁には気に入っている額装が5点。
全てのものの置き場所は決まっていて、
未決済用の一時保管ボックスがひとつだけ。

自室で過ごす時間が、これまでとは劇的に違うものになりました。

同時に、棚上げしている「not to do」が、いい加減「to do」になっていて
そろそろ日常生活に戻らないと本当にヤバいでしょう、という感じにもなってきました。

というわけで、忘れてしまわないうちに、
数回に分けて片付けについて文字をまとめつつ、
日常生活に戻ろうと思っています。

(以下、備忘メモ)

片付けであと残っていること。

【写真】
・選別した写真のスキャン保管、情報追記
・スキャン後の原本をアルバムに入れる。
(そのための、適切なアルバムを購入する。)

【小物】
・卓上に置く、ペン類とリモコンを立てる素敵なケースの購入

【その他】
・楽譜類の取捨選択(未着手)
・過去の携帯電話の山を捨てる(ドコモショップに持参?)
・壊れたPCのハードディスクを破壊した後、廃棄


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2011年11月 3日 (木)

ひとつぶのチョコレート

ダイエット中なのでお菓子をあんまり買わないのだけど、
個包装のチョコレートを1箱買ってきました。

北海道の牧場で働いていて、寒さが厳しくなっていった頃の習慣です。
朝起きて、もうろうとしながら暖房のスイッチを入れて、
チョコレートをひとつぶ口に放り込む。

朝起きるのが、5時前だったり、とある牧場では3時前(朝?)だったり。
超夜型人間だった私にとって、有り得ない早朝起床に対応するための、
ひとつぶのチョコレートは起動スイッチみたいなものでした。

だから、またチョコレートパワーで朝型シフトしたいなぁ、という。。
えぇそうです、最近朝型ができてないんだよ、えへへ。

ただし、このチョコレートを起床時以外にも口に入れだしたら、
でぶまっしぐらなので要注意です。
(実は昨日、夜の自宅仕事にやさぐれて2粒食べた。)

片付けが終わったら、ブログをたくさん書こうと思っています。
片付けしていると、やっぱり私は言葉が特別に好きなんだなってわかるので。

でもまだ終わってないので今日はちょっとだけ。

今日は、母とハイキングに行こうと言っていたのですが、
昨日から母が風邪気味なのでまた今度にしました。

私は割とそういうことにこだわらないのですが、
身勝手な私が家族イベントに参加したがることが少ないため、
私が行こう行こうっていうととっても喜んでいる母が落ち込んでなけりゃいいが。

大丈夫!
紅葉は逃しても、冬にはつららも見られるし、遊休はたくさん余ってる。

というわけで、今日は片付けの最後の残り…写真の整理をします。
まずは量を減らすこと。それができたら、画像スキャンして、コンパクトなアルバムを探そう。

今日で基本の片付けは全部終わりにするつもりです。

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